「有難い(ありがたい)」の本当の意味を考える

お久しぶりの投稿になりました。
早いもので11月になり、いかがお過ごしでしょうか。

ポートランドはこれから雨の季節です。
でもこの雨が夏の緑のエネルギーになっていくのだと思います。
循環を感じます。

じつは約1ヶ月ほど前に、オハイオ州にいる義理の母が急逝しました。
寄り添ってくださった方々本当にありがとうございました。

脳卒中でした。
あるお薬を常用していたため、延命措置ができなかったとのことでした。

葬儀に合わせてオハイオに戻り慌ただしくしておりましたが、
今はポートランドでの日常に戻っています。

日が経つごとに、「生きる」とはどういうことなのか
生きてることの有り難みを改めて感じています。

有難いというのは
文字の通り「有る」ことが当たり前ではないことを伝えているのかもしれません。

心臓が動いていること
脳が機能していること
身体の中には私たちが意識的には動かせない部分がたくさんあります。

2015年
夫も私も身体の声なんて全く聞かずがんばり続けていました。
そしてお薬の副作用の連鎖で夫が倒れ、
口の中が真菌感染してスムージーすら痛みを感じる経験をしました。

食べ物があることもありがたいことですが、
食べられることもありがたいのだと思います。

改めて身体を大事に使わせていただこうと思います。

やはり根本的なところから
身体も心も、健康であることがとても大事。

義母には、人を愛することや、献身することを教えてもらいました。
義母のことはまた別の機会に書けたらいいなぁと思っています。

それでは今日も健やかでスイートな一日をお過ごしくださいませ𓂃𓇼

Rie


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