本当は美しいこと知っている私たち
「美しくなるために」とか「美しくなりたい」という言葉を聞くと、とても当たり前の欲求なのですが、なんか変だなって思うのです。
本当は私たちは自分が「美しい」ってことを知っていますよね?
いやいやそんなことはない、わたしはおなかがブヨブヨだ。
とか
顔がかわいい感じに生まれてない。とかいろいろ信じていることがあると
思います。
けれど、ではどうやって美しくなるために、美しくないと信じていること
消していくのでしょうか?
美しさの基準も、美しくないと思ってしまった基準も
世間一般の平均や集合意識が決めているだけで、本当に本当に自分が思ったことなのでしょうか?
親が言った?友人が?クラスメイトが?
それを言った人たちも、きっとそういった価値観に苦しんできた方たちかもれしません。
スタートは誰かの一言や、そう思い込んだ。あるいは平均とういものを意識した。
本当にそれだけだと思うのです。
赤ちゃんや幼い子供は自分のことを美しくないと嘆いたりしません。
私は美しさとは
気が付くもの
だと思っています。それは知らなったという意味ではなく
美しかったことを知っていた自分に還る
という意味です。
本当の本当は知っていますよね。
何はなくとも自分って愛すべき素晴らしい存在で
本当に美しいエネルギーであることを。
あの人美しかったな~
と思いだすのはその人のエネルギーそのもの
だから、ブスなフリはもうやめて
ただ一緒に思いだしましょう。
フリが板についてしまっただけ。うん。
あなたが本当の自分に還れますように。
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