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枠を超えていく

母とのこと
ぐっと掘り下げると
思わぬ母との共通点が出て
理解には至ったものの、
そこから先に進めなくなりました。

私は、物心ついた時から
人から「認めてもらいたい」という
承認欲求を強く持っていました。

求める割にアピール出来ないので
心の底の重い思いは叶えられず
ネガティヴな経験をする度に
自分には価値がないと
思ってきたのです。

そこを掘り下げていくと
両親との幼少期の関わりと
なってくるのですが、
私は母よりも、
父に対して認めてほしいと
思うことが多かったのです。

そこで
今回は父とのことについて
掘り下げてみようと思いました。

父は 第一子として生まれた私に
様々な期待を抱いていました。

教育に対しては特に熱心で
その期待は
クリスマスプレゼントの内容に
反映されていました。

目覚まし時計
ブックスタンド
日記帳…

子供らしからぬプレゼントに困惑し、
隣でおもちゃをもらっている
妹や弟が羨ましかったことを覚えています。

児童文学全集も
仕事の帰りに
少しずつ買ってきては、
本棚に入っていきます。

けれど、
決められたものを読みたくなくて
図書館で借りてきた本を読んでいると

父は
「そんなもの、読むな!」と怒鳴り
本を取り上げるのです。

怒られないように
それから、父の前で
本を読むことはなくなりました。

このようなエピソードは
今回の話の中で全て書くことが
出来ないくらい多いのですが

共通することはすべて
父にとって私は
期待はずれの子だということ。

「子供のくせに生意気だ」
「お前は、わしの嫌な所ばかり似ている」
この言葉が長く心の傷として
存在していました。

私のやりたいこと、やることは
何をしても否定される
どうしたら認めてもらえるのだろう…

高校卒業と共に
家を出てからも
この信じこみは先生、夫と
姿を変えながら
長く私の中に存在していました。

だからこそ
今、問いかけてみるのです。
私は、何のために
父に否定させてきたのだろう…と

それを突き詰めていくと
父とそして母との関わりを通して
自己表現を許してこなかった
自分に対し

親という「枠」を超えて
自分の想いを表現し、伝えること

それが
私の人生の目的ではないか…
そう思い至りました。

今、その表現が
こうして書くことへと繋がっています。

どのように書くことを選んだのか
そこに繋がるお話は、
また次回、書きたいと思います。

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