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無色透明な言葉の意味がわかった話

Norikoです。

筋金入りの他人軸
99%くらい他人軸
息をするように他人軸

と指摘されたのと同じ頃、
「Norikoの言葉は無色透明。さっきまで話していたはずなのに、あれ?居た?ってなる」
と言われた事がある。

他人軸だと知ってからは、それは気を遣って言葉を話して、出来るだけ人畜無害であろうとしていたからだと思ってた。
SNSでは特に、人畜無害を心掛けていた。

気になったので人畜無害について調べてみた。
デジタル大辞泉
じんちく‐むがい【人畜無害】
1 人や動物に対して害がないこと。
2 (多く、皮肉や侮蔑の意を込めて)他に何の影響も及ぼさないような、平凡でとりえのない人。

あら、ここにも昔からのトラップが。
中学生くらいの頃、成績が芳しくない私に母が言い放った言葉がある。
「なんか取り柄ないの!?」
である。
取り柄などない。
取り柄のない代わりに、気が利く人間になろうと思ったのだ。

脱線した。

人畜無害だから水のように無色透明なんだなと思っていた。
自然発生的にそうなっていたと思った。

前置きが長くなったが、ここからが本題。

最近、言語化スキルというものを褒めて頂く事が多いので、言語化について考えていた。
人の話やセミナーを聞いて、それって◯◯って事?と要約するのはとても得意だと思う。

その時どんな思考でいるかを考えみた。

そして、やっている事の一つに気がついた。
その時の私はものすごく、自分を消している。

私がどう思ったかではなくて、相手は何を言っているかを捉える事にすごく重きを置いてるのだ。
何を伝えようとしているかを一旦把握してから、それをどう感じるか考えるようにしている。

多分前は、その聞いたものに自分の解釈を入れていなかったと思う。
相手の話から雑味を抜いて、濾して伝えてます。
みたいな。

そりゃ無色透明になるはずである。
浄水器だったんだ…私。

もちろん聴きながら感情が動く事もある。
けれど、その感情を深追いしないかもしれない。
深追いすると、相手の話を理解出来なくなるから。
感情を深追いし始めた時は、「もう聴きません」って顔になってるはずだ。
失礼な話だな…と我ながら思う。

文章読んでる時はボロボロ泣くのに、人の話を聞いてる時に泣かないのはスイッチを入れているからだ。
人の話をめちゃくちゃ真剣に聞くスイッチをオンにすると、多分自分をオフにするんだと思う。

そうしなくちゃ…と思っているわけではない。
もう、自然とそうなっている。

言語化の第一ステップが観察だとするならば、常に話を聞く時相手を観察してる。
顔の表情と言葉が合わない時、本心じゃないな…とか。
不思議そうな顔していたら、あ…伝わらなかったな…とか。
表情と話し方を見て、相手が欲しいであろう言葉を紡いだりする。

気が利く事がアイデンティティだった私の中に生まれた、一つの才能だと思う事にしよう。

この言語化能力が誰かのお手伝いになったら良いなぁとだけ望ませて…。

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