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【かごしま地域企業名鑑】 #002 株式会社ユニティ

(インタビュー・文:ふるかわりさ)

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「訪問看護」という分野に足を踏み入れたきっかけ

看護師をしていた母の影響もあり、僕は小学校5年生の文集にはすでに「看護師さんになる」って書いてるんです。当時「男の看護婦さんっていないの?」って親に聞いたのを覚えています。

もともと別な病院で働いていて、リハビリをしてご自宅に帰っていくという専門の病棟にいたんです。そこで僕たちが、家に帰った後どんな生活をするかということを考えて、実際にご自宅を見に行ったりもしながら十分に準備をして退院してもらったつもりだったのに、次の外来などで患者さんにお会いすると「(暮らしが)本当にたいへんだ」とおっしゃる

それを聞いて「えええ?」っと思ってですね。

これだけ準備して、もう大丈夫だろうと思って送り出したはずなのに家の中には、病院にいる僕らには見えていない大変なことがたくさんあるんだって気づいて、病院の中にいても 暮らしを取り戻すという視点では無力だなって感じたんです。
もちろん、病気を治していくという意味では無力じゃないですよ。そう感じた時に、世の中の流れも在宅の方に向いていたということもあって訪問看護の道を選びました。

「退院」って聞くと、完全に元気になってから家に帰るイメージあるじゃないですか。でも、今は自宅で療養するってことも主流になってきて。その際に足りない部分を看護師がご自宅に訪問して補ったりするんです。

訪問看護をやりたい。やるなら当時住んでいた大阪ではなくて、生まれ育った地元に貢献したいと思ってこの会社を見つけたました。

ネットでいろいろ調べると、訪問看護をやっている会社はいくつも出てきました。当時まだユニティは訪問看護を始めて2年くらいで、訪問看護に関しては情報もまだ少なかったんです。でも、変に型が出来あがっているところに行くよりは、まだまだこれから作っていくというこっち(ユニティ)のほうが楽しそうだなって思いました。

そういうこともあって、鹿児島に戻ってどこに住むか みたいなこともユニティで働くことを中心に考えていましたね。あと、ユニティの社長と僕の高校の先輩が知り合いで、その先輩が「(霧島で)一緒に いい街を作ろうよ」って。あの一言はだいぶ響きましたね。もちろん、それで決心したというわけではなく、その言葉で相当 加速度がついたというか。

この訪問看護という仕事は基本的に一人で患者さんのご自宅にお邪魔して、その時間は100%患者さんに向き合う。もちろんスマホなどで仲間と連携をとりながらいろんな判断をするわけではあるんですが、看護師として働いてる!っていう実感が持てる仕事です。一人で動く分、怖さや不安もないわけではないですけどね。

看護師と一言で言っても、例えば手術室の看護師さん、救命救急の看護師さん、小児科の看護師さん、、、とその仕事は様々で、どれも大切な仕事ですが、僕はこの訪問看護というスタイルが好きです。

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祖母の最期。死に対しての探究が始まった。

最期の最期、自分が床に伏している場面を想像する時、あくまでも僕の価値観ですよ、静かな病室でその時を迎えるのか、それとも家族がいつものように掃除機をかけてたり、孫たちが走り回ってたりして「もうちょっと静かにしなさいって」言いたくなるかもしれないけど家で過ごしているのか。自宅で過ごすって、その人の暮らしという視点で見た時にとても豊かだと思うんです。家族に迷惑をかけたくないから病院がいいという意見も、人によって状況は様々なので、どれも正解だと思います。

元々、終末期と呼ばれる最後の場面の看護というものに興味がありました。きっかけは祖母の言葉で、僕が高校生の頃 祖母は肝臓癌を患ってたんですが、「自分が亡くなった時、親戚が集まったらにぎやかにしなさいね」と言ったんです。にっこり笑いながら。
元々、知らない人でも困っていたらご飯を食べさせたり家に泊めたりするような 本当に人格者だった祖母なんですけど。
その祖母の言葉があったから、葬式も全国から親戚が集まっていろんな思い出話をして。悲しい思い出というよりは、楽しかった明るい思い出ですね。

当時高校2年だった僕には、どうして自分が死んでいくことがわかっているのに、こんなににっこりしながら優しい言葉がかけられるんだろう、その時のばぁちゃんの感情ってどんなものだっただろうって。最後に祖母は何を伝えたかったんだろうって、それを知りたいという好奇心もあるんでしょうね。

亡くなる瞬間って、その方が 残された人たちに最後に何かを教える場面だと思うと、寂しいとか悲しいとかだけじゃなくて前向きにとらえられる気がしてて、そんなことを患者さんやご家族にお話ができるようになってきたのは、僕も看護師としていろんな経験を積ませてもらってきたからなのかなと思います。

ユニティだからできること

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これまで「死の場面」について話をしましたけど、ユニティは「今」。これから生きていく皆さんが、どうやって その人らしく生きていくかをしっかり支えていく仕事ですね。

スタッフも利用者さんも、笑顔がステキすぎる。どの場面でもですね。みんながやりたいことを、みんなでやっているということなんでしょうね。よく社長から言われるのが「はい、って言ってから(どうやるか)悩め」
ゴールさえ決まればあとは進めばいいだけですからね。

先日、ある利用者さんの結婚式をユニティで企画したんですよ。

「その場で亡くなってもいい」というくらいの覚悟を決めて、結婚式をすることを決心されたんです。本当に命ギリギリのところで。

 一番メインになったのはケアマネージャーという仕事をしているスタッフだったんですが、そういう状態の中で病院から自宅に帰ってくるにあたって「何かしたいことはないの?」と、その利用者さんに質問をしたんです。最期を担当する時って、やりたいこととか やり残したこととかを聞くんですが、その利用者さんは結婚式をまだやってないんだとおっしゃって。

そのケアマネージャーが会社に帰って ぼそっと「まだ結婚式を挙げられてないんだって」と呟いたんです。そしたら、デイサービスのスタッフに元ウェディングプランナーがいたよねとか、カメラマンいるよね、、、といろんなことが繋がっていくうちに「もう、やろうよ」ってなって。

そこからいろんな部署が協力しあって、教会を予約したり、ウェルカムボードを作ったり、ブーケを用意したり、当日ご本人たちにどんな感じで動いてもらうか話し合ったりして。最初の一言から結婚式当日まで、わずか1週間です。そのくらいのスピード感。そういう勢いがあるというか、元気のある会社ではありますね。

僕は当日の利用者さん本人の着替えや体調管理の担当で、万一の時のための吸入器とか緊急のバッグとか持ってついていく係だったんですけど、会場について「え?こんなに本格的なの?」とびっくりしました

一度僕もジャケット着たりもしたんですが、汗だくすぎて結局普段の看護師の格好で付き添いました。社長からも「動きにくいだろ」と言ってもらえたし、一般の方達から見たら「あぁ、看護師が付き添ってるのね」と一目で分かるのは安心材料になっただろうし、まぁよかったんじゃないかなと思います。

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あの結婚式は退院した翌日だったんですが、結婚式が終わって僕らがご夫婦に「これで終わったんじゃなくて、ここから始まってるからね。だからこれから先も、やりたいことあったときはポロッと話してくれたら、ひょんなことからそれが叶っていくかもしれないから」と話したりしました。

小さいお子さんが2人いらっしゃるんですが、お子さんたちも、奥さんも、もちろんご本人も。その後もいろんな葛藤をしながら頑張ってらっしゃいます。

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ユニティをアニメキャラに例えると?

ん〜。なんだろうなぁ、、、。
確実に言えるのは、僕らは絶対にドラえもんじゃないってことですかね。あくまでも、利用者の皆さんに「そうしたい、こうなりたい」という意思があるからこそ僕らが知恵とか専門性でそれを支えるってことなので、便利屋ではない。だからドラえもんではない。

僕らは、何か、目に見えるものじゃないけど背中を押すような役割で、僕らが少し背中を押すことで「あぁ、大丈夫だ」って、自分の生活にまた挑んでいってもらうためのサポート役なんです。

一緒に隣を歩いているっていう感じでもない。もちろん、前から手を引いているわけでもない。豊かな人生を支える黒子のような。2歩後ろくらいで歩いてるような感じかな

浜田桂太朗(社長)は、生きている感覚を呼び起こしてくれる人。

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社長の濱田の存在を一言で言うと、「一緒に生きてるな」って感覚を呼び起こしてくれる人ですね。

月並みですけど、家族のような。ユニティみんなで一緒に「生きてるな」って感じがします。

社長のことを思い浮かべると「生き抜く実感」という言葉が浮かんできますね。ユニティでは「在宅を支える」じゃなくて、わざわざ「在宅を支えきる」と言ったりするんですが。自分らしく生き抜く、、。そんな感じかな。

社長と僕とは1歳しか違わないんですけどね。社長と仕事していると、生きている実感があります。少なくとも毎日同じ仕事して帰るって感じには絶対にならない。本気でスタッフたちに接しています。顔を真っ赤にして怒ったりするんですけど、言ってることは ただただ僕らの心に刺さります。叱られてわかるユニティのよさってあるかもしれないですね。

社長はユニティの理念を一番体現している人ですし、その本気さが 一スタッフとしてとても嬉しいですね。本当に一生懸命な人ですし、同時に 一生懸命 ”びびり” でもあります。心配性だったり。ただ単に突っ走るだけの人じゃなくてですね。「あぁ、ちょいちょい胃薬飲んでるなぁ」って思いながら横で見ています。(笑)

社長は、看護や介護を通していろんな人の人生を豊かにしたいと思ってるんだと思います。社長と働くことで、僕の人生自体も豊かになっています。訪問看護の仕事をしているってことだけでもある程度 僕の人生は豊かになっていますけど、ユニティじゃないとできないようなことってありますからね。おかげで、看護師としての人生も、僕個人としての人生も豊かになっています

選びなおせるとしても看護師という仕事を選ぶ

もしも学生時代に戻れて、1から仕事を選びなおせるとしても”看護師”というこの仕事を選びます。

訪問看護という仕事の好きなところは、まずゴールがないところ。そして100点満点がないところ。さらに、治療の仕方や薬の種類、使える道具(昔はスマホやケータイなどもなかった中でどうやって訪問看護やってたのかな)などもどんどん変わっていくんです。まぁ、考えてみるとどんな仕事も100点ってないはずなんですけどね。所々は満足しながらも、いろんな場面で「もっと、もっと」と上を目指したいと思っています。

病院の治療って、健康をゼロとした時にマイナスをゼロに戻すお手伝いという側面が強いかなと思っていて。看護師って「その患者さんが入院してきた瞬間から、退院後の暮らしことをイメージして接しなさい」と習うんですよ。でも、例えば病院の中では、安全に治療ができるように、飲み忘れがないようにと、患者さんの代わりに看護師が薬の管理をしたりもするんです。でも、時間になったら薬を出してもらうことが当たり前になっていると、退院後、うっかり飲み忘れたりもするんですよね。そういうことを見越して、例えば退院前に少しずつ自分で薬を飲み忘れないように自分で管理していただくようにするとか、そういうことも大切かもしれないです。病院内で事故なく安全に過ごせるようにした結果、本来本人ができていたはずことができなくなっていることもあったりします。

他にも例えば、脳梗塞の後遺症で片マヒが残った患者さんがもうすぐ退院するという時、片手でも料理できるように病院で料理の練習をしていただいたりします。「あぁこれで簡単な料理なら自分で作って食べられるね、よかったよかった」って送り出すんです。

でも、料理して食べるってそれだけじゃないんですよね。メニューを考えて、買い物に行って、調理して食べて片付ける。そこにはマヒがなかった時にはなんとも思わなかったようなところにいろんな壁があるんです。それは患者さん側も「あれはどうしたらいいかな?」って言えたりするといいんですけどね。

でもそんな問題を、僕らのような訪問看護師が 利用者さんたちと一緒に一個一個解決していきながら、生活が豊かになっていくと、みなさんどんどん表情が輝いていくんですが、その顔を見ていると気持ちがいいです

僕ら看護師の広報も足りていないんでしょうが、こいういうサービスがあるということを患者さんやご家族側も知ってくださっていると、もっと選択の幅が広がると思うので、訪問看護というものの存在を、たくさんの人に知ってもらいたいですね。


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