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【かごしま選手名鑑】#014 サイバー大学教授 勝眞一郎さん

(聞き手:ふるかわりさ)

古川:勝さん、今日はよろしくお願いします。普段が謎の勝さんについて、根掘り葉掘り聞いてみたいと思います。
勝:お手柔らかにお願いしますね。
古川:ふふふ。さっそくですけど、勝さんは大学では何を専攻していらっしゃったんですか?
勝:経営工学です。大学のゼミでは、システム設計を学び実際にシステム開発を受託して開発。そのお金でマンション2室を借りて、開発ルームとして使っていました。
古川:けいえいこうがく。
勝:うん。企業のビジネスゴール実現のために、どこにどんなプロセスが必要でそこにフィットしたシステムを考えて実装する感じ?そのゼミでは、某大手宅配事業者の管理システムや、某石油会社の会員カードのシステムをCOBOLという言語で作ってました。

古川:勝さんっていろんな仕事をなさってるイメージですが、最初のキャリアってどんな感じだったんですか?
勝:外資系のシステム会社と銀行系の総研に内定をいただいていたんだけど、結局は面接を担当してくれた情報システム部長に魅かれて、最後に受けたヤンマーに入社
 本社のシステム部門に配属されて、2年目からアメリカ駐在を4年半。当時はまだインターネットがない時代で、毎日夕方に日本からFAXが届くような時代だったし、日本語のデータは日本から持って行ったプリンターじゃないと出力できなかった。その時、グループ会社の1社の撤退ということも経験したんだけど、撤退ってなかなか大変で。すでに売ったもののアフターサービスをどうするかとか、在庫をどうするかとか。勉強になったよね。
 帰国して、物流管理部でグループの在庫を半分にするというプロジェクトのリーダーをして、それから、グループ全体の設計・製造プロセスを2次元の紙ベースから3次元CADデータに改革するプロジェクトに。当時、世界のモノづくりは3次元に移行していたんだけど、日本だけまだ2次元だったの。
 続いて顧客満足度向上のプロジェクトを担当したあと、情報システム部門に戻りました。情報システム部門では、グループ全体のシステムをERPという統合型のシステムに移行するプロジェクトを立ち上げ、情報システム部門のトップを務めました。
 入社当初は、3年くらい働くつもりで入ったのに、結局19年も務めました。

古川:ヤンマーを退職した後は現在お勤めのサイバー大学ですか?
勝:企画の師匠の久保田達也さんに誘われて、会社員時代から新しくできる大学の学部の企画や大学院のカリキュラム検討に仕事が休みの日を利用して参加してました。企業として「今後どのような人材を輩出して欲しいか」という視点での意見を求められていました。
 そんな中、2005年東京大学の故・石田晴久先生から「ソフトバンクが新しくインターネット大学を作るので設立準備を手伝ってほしい」とお電話いただきました。こちらも週末に汐留にあるソフトバンクに伺い、大学のアドミッション・ポリシーからカリキュラム編成、授業システムの構築まで打合せをしました。
 2006年に設置申請、2007年に開学という爆速。カリキュラム編成が終ったあたりで石田先生から「勝さんもやりましょうよ」と誘われて大学に移りました。

古川:19年も務めた会社を43歳で転職を決断したのは何故?
勝:同じ会社の中でプレーヤーが硬直化してきたこともあるけど、41歳の頃に心房細動を発症し、死を意識したことも一因かもしれません。一生一社だけでいいのかと。その後、45歳でカテーテルアブレーションという手術をしたので、心房細動は一応治りました。
サーフィンでは、離岸流に流されてヤバかった経験は何度もあります。(笑)

古川:サイバー大学ではどんな科目を担当してらっしゃるんですか?
勝:プロジェクトマネジメント系の科目を4科目、業務系システム開発の科目を1科目、デジタルツールを使った教養系の科目を1科目担当しています。
古川:実際に企業でプロジェクトを回していたという、現場感覚のある教授ってすごくステキです。

イェーイ!

古川:暮らしの拠点って奄美大島がメインですか?
勝:奄美大島と神奈川県の藤沢の2地域居住です。もう12年になります。コロナの前は月の前半を藤沢、後半を奄美というパターンだったのですが、コロナで移動が難しくなり一時期ほぼ奄美に。今は藤沢も、そしてSELFの活動で鹿児島も増えてきました。

古川:今の仕事はどんなことを?
勝:ぼんやりとですが3つの柱を意識しています。一つは、「ビジネスの現場の仕事」。製造業系を中心にお世話になっているコンサルティング・ファームと一緒にお客様の企業のプロセス改革のお手伝いをしています。二つ目は、「地域の仕事」。SELFや鹿児島県や奄美の仕事です。3つ目が「教育の仕事」。大学ですね。

古川:これからどんなことをしたいですか?
勝:何をしたらいいのでしょうね?特に決めていません。
テーマとしては変わらず「人は何故、動くのか?」ということかな。
これまで志の共有やゴールへの道筋をロジカルに説明したり、構造的に分解するという構造的なアプローチによって、人は納得して動くという考えでいました。ですが、それを一旦手放して、もう一度人が動くときの真理みたいなことを探求してみたいです。

古川:勝さんに原風景ってありますか?
勝:小さい頃過ごした奄美の親戚のいとこや幼なじみたちと過ごした日々ですかね。父方の実家のある徳之島の亀津や面縄の風景も記憶に残っています。どちらも埋め立てや港湾整備の前の風景ですが。

奄美のマテリヤの滝

古川:これまでの人生を左右するような原体験は?
勝:やはり製造業でのモノづくりですね。新入社員研修では、三重県の伊賀で販売店のお手伝い。バイク乗ってたので、草刈り機の修理や中古トラクターの整備とか楽しかったです。滋賀のエンジン工場では、生産ラインで使う機械のドリルを研磨する部門と組み立てラインを経験。ひたすらドリルを研磨してました。

古川:誰かロールモデルっていますか?
勝:この人みたいになりたいという方は、いません。
色んな分野の師匠はいます。企画は久保田達也さん。プロジェクトマネジメントはトム・デマルコさん。コンサルティングは平山賢二さんなど、各分野で師匠と呼んでいる方々がいます。一応ご本人にも弟子入りの確認はしてますよ。
 会社員時代は「社外に10人の師匠を持とう」ということを言ってました。悩んだ時のお守りみたいな安心感がありますよ。

奄美で海老と言えば伊勢海老らしいです

古川:SNSの投稿をみているといつも美味しそうなお料理を作ってらっしゃいますよね?
勝:自分が食べたいものを自分で作っているだけです。ただそれだけです。(笑)

奄美でも藤沢でもサーフィン

古川:サーフィンはいつ頃からやってらっしゃるんですか?
勝:15年くらいになります。
来た波に乗るというシンプルなところ。その波が毎回異なるという複雑なところが面白いですね。

美しい奄美の海でのサーフィンは最高

古川:コラムニストの一面もお持ちですね?
勝:何故かどれも2カ月に1回のペースですが、分野の異なるメディアにコラムを書いてます。
奄美の南海日日新聞、奄美のフリーペーパー マチイロ・マガジン、鹿児島のエンターテイメント雑誌LEAP、週刊BCNというIT系の情報紙です。
SELFのTransformation Academy(このnote)もそのひとつですね!

古川:今日は、どうもありがとうございました。


 


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