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SELF Impact player インタビュー#001 大崎上島 庭火 松本幸市さん

SELFの正会員の一つ外の枠からSELFの活動を応援し、いざという時にSELFの一員として活躍するメンバー「SELF Impact player(以下SIP)」。SELFクルーの力だけでは乗り越えられないいろんな局面で、任せとけ!と力を貸してくださるSELFの大切な仲間です。
今日はその一人、大崎上島の”まっつん”こと、松本幸市さんにお話を伺いました。

どうしてSIPになろうと?

薩摩会議2022に行ったことがきっかけで、まずそのコミュニティが面白そうだと感じました。また、自分の持っている瀬戸内のアイディンティと鹿児島のアイディンティはずっと繋がっているのもがあって、それを継いでいくことと 繋げていくことがすごく意味があると思っています。

SIPの会費なんて、SELFの仲間が10人 広島の大崎上島で僕が経営しているホステル「庭火」に来てくれたら、元が取れると思ったっていう部分もあるよ(笑)。

島で開いた結婚式。

瀬戸内のアイディンティ

民族学的に見て、この島の人たちが元々、北九州や朝鮮半島から来た人たちと、鹿児島とか沖縄から来た人たちの2系統あると言われていて。

お隣の大三島の大山祇神社には、鹿児島神宮に伝わる隼人舞が奉納されていたり、この島(大崎上島)も飢饉のときに薩摩からさつまいもを教えてもらって生き残ったりしているといういわれがあったり、たとえば、鹿児島の「かからん団子」と全く同じお菓子がこの島で、「しばもち」って名前の郷土のお菓子として残ってたりするんだよね。

大崎上島のおとなり大三島(愛媛県)の大山祇神社に奉納されている隼人舞
鹿児島県議会にある隼人舞の像

今でこそ、その「繋がりって何なんだろう?」とか、「そこから生まれてくるものって何だろう?」というものを受け継いでいきたいし、そのアイディンティを大切にしていきたいと思っている。

松本さんのお仕事について教えてください。

人間の煩悩の数だけ松本の仕事があると言われています(笑)。

メインはゲストハウス「庭火」の運営。でも、それは世を忍ぶ仮の姿で、神社の神職をしていたり、島の教育や地域振興に関わる一般社団法人の事務局長をしていて、デザインもやっていれば広島平和記念公園のプログラムも作っている。

自分の中では「世界のただいま」を作る、瀬戸内にみんなが帰ってこれる安心感のある場所を作っていくというのがテーマかな。そうなれば宿もいる、住めるシェアハウスもいる、そこで暮らしていくためには教育がいる、そのためには働くためのコワーキングもいる。そして、毎日毎日こういう生活に飽きちゃうから祭りもいる、そのために神職もやっているし、そうやって自分で「世界のただいま」を作るっていうのをやっています。

世界の「ただいま」を作る

原体験として、子どもの時にずっと「島って何もない」と言われ育ったの。昔ってインターネットもないし、スマホもないしで、情報を得ようと思ったら都会に行って人に会うしかなかったんだよね。
島にいたら何もないから こんな島イヤだと思って、20代の時は東京の海員組合に就職した。

乗組員仲間たちと

海外にもいきたくて、貨物船の乗組員として、最初は鹿児島の(これもご縁だね!)志布志港からフィリピン人20人、日本人3人で北米南米航路といってパナマ運河を超えてアメリカをメインに貨物を運ぶ仕事をしてました。
毎日海しかない生活。電波もないし、コンビニもないし。生まれ育った島よりも「何もない」生活。

でも、その時、そのフィリピン人の乗組員たちがめちゃくちゃ楽しそうに仕事してて。「そっか、何もなくても楽しめるのか」って。「大切なものって自分の心の中にあるんだな」って気づいて、島でも過去に囚われたり、未来を悲観したりするんじゃなくて今を楽しめる場所を作りたいなと思って。

乗組員仲間と

子どもの時にかけっこするじゃん。あれってただ走るんだけどめっちゃ楽しい。そんな感じで仕事できたら楽しいなと思って。自分の今を全力で生きる社会を作れたら楽しいなと思って、「ただいま」を作るって。

もともと「ただいま」ってそういう意味があるの。過去や未来じゃなくて、ただ「今」を生きるって。山伏の言葉なんだけど。

僕が作る空間って「安心感があるね」って言ってもらえるんだけど、そういうことは僕は得意だから、この島に、みんなが安心感を持って過去に囚われず、未来を悲観せずに今を生きる社会を作りたいと思って、それをキーワードに仕事してる。

どうして神職に?

28歳の時、学校で働いてたんだけど、住んでた集落が空き家が増えて孤独死が相次いで
孤独死が続くと、「この島はもう無理だ」とか「この島は終わるね」みたいな悲観的なムードになっていくの。人口がどんどん減って、隣の家に誰もいなくなって、人と話す機会が減るんだよね。
僕はそれまでの人生の中でいろんな人に会って、いろんな話を聞いてきてたから、島でシェアハウスしたら面白いなと思った。

シェアハウスのある集落で、毎年祭りがあったんだけど、そのシェアハウスオープンした翌年にその祭りが終わりますって話が出て。広島大学の子が、どうやったら地域に人が入ってくるかという研究をしてたんだけど、それによると祭りに参加したっていう回答が多くてね。それをきっかけに空き家をもらったとか、地域の人と交流が増えたってことがすごく多くて。それなのにみんな高齢になって祭りの世話をする人がいなくなったからもういいだろうっていう話になってた。それで「え?」っと思って。

宮総代(氏子総代)ってポジション、他の地域は70代とかの人だったんだけど、僕は30代で手を挙げて。それが神社に関わったきっかけで、そのあと5年くらいシェアハウスしながら宮総代やってた。

夏って、移住したくて島に来る人が多くて1ヶ月に20−30人くるから、都会から来た人たちと毎晩毎晩飲み会があるの。でも、それに島に住んでる人が疲れ始めてね。外からくる人は楽しいんだけど、地元の人が疲れるってちょっと違うなと思って、そろそろ本格的に宿をやろうかなと思ってゲストハウスを始めた

十七夜祭っていう船を漕ぐお祭りが7月の末にあって、ゲストハウス始めた年にね、その祭りをやってる神社の宮司さんが病気で亡くなるって時で、娘さんが代行で宮司の役をやったんだけど。

みんな地域に祭りを残したいって言って役場の人とか、船を漕ぐ船頭さんとかもいろいろ頑張ってたけど、神社を継ごうって人が誰一人いなくてね。
でも、その船の練習を通して地元の子どもと大人たちがフラットに意見を言い合ったり、本気でぶつかったりする姿を見て僕はそれがとても美しいなと思って。
この祭りを守るために自分に何ができるだろうと思った時に、神職だなって思って、祭りの朝にその娘さんに話をしたというわけ。

そしたら、娘さんが「私たちはもともと違う島から来た一族で、明治時代にこの島の神社の人が一旦いなくなったからこの島に来たんです。私たちが来る前から神社にお墓があって、そこに松本って名前があるんだけど知ってますか?」って言われて、自分は何も知らなかったから親父に聞いたら「そういえばあの辺に土地持ってたな」って。
で、調べたら、神社の鳥居の位置がうちの土地だった。ドラクエみたいでしょ。
よく調べたら、松本という姓が神社のことを残していたり、鳥居に「願主 松本」って書いてあったりして。

そういうこともあって、松本さんは神社に縁があるしってことで、他の総代さんたちからも推薦をもらって、導かれるように神職に就いたというわけ。

SIPとしての意気込みをどうぞ

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「鹿児島と瀬戸内で遊び尽くす」ですね。
遊びの中からしか生まれないから。いいことって。
鹿児島のみなさんと本気で遊びたいなって思います。
あと、おとなり大三島の大山祇神社に鹿児島の皆さんをご案内するのも僕の役目かな。

まっつんに会いたい人は、ぜひ泊まりに行ってください!
木江宿 庭火
https://goo.gl/maps/kcCFe1LBK976fDvh9


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