期待の話

この間、せれんくんは他人に期待しないの?と尋ねられた。
僕が普段全く怒らないから不思議に思ったそうだ。
曰く、他人に期待しなければ裏切られていらつくこともないので、心の平穏が保てるらしい。
故に僕が怒らない、と。

それは違うな、と思った。
僕には「期待しない」というのが凄く上から目線で、自己中心的で、相手を尊重しない行動のように感じたからだ。
でも実際考えてみると、僕が誰かに何かをするときに期待は介在しない。
普通に相手が嬉しいだろうな、の気持ちでする。
んー確かにそういう意味では期待しないかもしれないけれど、人に頼み事するときとか、やってくれることを期待するよね、とか。
大方そのようなことを返答した。
すると、友人はギブアンドテイクなる概念があることを教えてくれた。

説明を聞きながらやはり僕にはその考えはないな、と思ったが、彼はこう続けた。

「じゃあ、せれんくんが相手に献身することをギブ、相手が喜ぶことをテイクとしたとき、テイクがなかったらどう思う?」

「悲しいかな、迷惑だったんだろうなと思う」

「そうなんだ、悲しいか」

「うん、そうやねー。次は喜んで貰えるように努力はするし、悲しいとは言ったけど、それで相手にどうのこうのはないかな」

会話はここで終わり、別の話題に移った。

話ながら、僕は相手に期待しているけれども、たまたまいらつかないだけだな、と思った。
それは僕が人間が出来ているとか驕りの話がしたいわけではなくて、僕自身そういう性格で、且つ周りの人がいらつかせないような人ばかりだから、本当にたまたま怒らないだけで、環境が違えばいらつくこともあるのだろう、ということ。

しかし、期待していらつく環境ってどんなだろう。
そんなこと、もとい損なことあるかと考えていたら、一つだけ思い当たる節が見つかった。
ぷよぷよである。
例えば、こちらが場を動かすために分かりやすい催促を構えているにも関わらず、相手が下手すぎるためそれを全く凝視せず、上級者じゃ絶対しないとんちんかんな行動を取ってきて、それが運よくこちらに刺さって負ける。
例えば、こちらが4連鎖組んで一旦相手を凝視したとき。相手には3連鎖しかないことが分かったとする。じゃあ相手も伸ばすだろうから、発火点を確保しつつ5連鎖まで伸ばした後、相手に連鎖を撃たせるために副砲を作ろう、と僕は考える。相手の伸ばしを期待する。
相手視点はこちらは3連鎖、相手は4連鎖、このまま撃っても勝てないので伸ばすしかない。もしくはイバラからの連携で刺すしかない。普通はそうだ。
しかし、相手はこちらを凝視出来ないので一生懸命組んだその渾身の3連鎖を何故か勝てるつもりで撃ってくる。意味が分からない。
僕は想定外すぎるその行動に手が止まる。
刹那。
相手の発火に気づいて自分も発火色をツモりにいくが、時すでに遅し。

流石にいらつく。

このケースでは僕が相手の凝視力、思考力に期待したせいで負けているため、期待をしていなければいらつくこともなかっただろう。
しかし、ぷよぷよは相手に期待をしなければ負けるゲームでもあるので (上述の例で僕が相手の伸ばしに期待せず発火した場合、逆に相手に5連鎖まで伸ばされて負けることが容易に想像できるため)、難しいところではある。
もし全く期待をしなければ、どうなるんだろう。行動の保証がされないから、一手ごとに相手を凝視することになるのかな。
んーでも、こちらの連鎖の形は基本的に相手の行動を期待して変化するから、もはや連鎖が組めず、ゲームとして成り立たない可能性すらある。

まぁつまり、ゲームにおいても、実生活においても期待は大事ってことだ。
期待しない、なんていうのが巷で流行っているけれども、それはやっぱり良くない気がする。
心の距離を遠ざければそりゃあいらつかずに済むけれど、心と心がぶつかるくらい近づきたい相手、大事な友達でも、好きな人でも、家族でも、そういう人達に期待しないとかやってるの、相手に失礼だし、寂しいと思うな。

期待、最高!イェイ!イェイ!

それでは、また。

いつも応援してくださる皆さまのおかげで僕は元気です。本当にありがとうございます。