そこら中に転がっている矛盾
「矛盾」という言葉の由来は、「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」についての話が出てくる故事ですが、 「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」が実在しているわけではありません。実在しない上に、理論上でも「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」というものが存在していれば、その理論は意味をなさないから「矛盾」です。
矛盾は英語ではcontradictionまたはparadoxと言います。Contradictionの由来は「contra(相反する)」+「dict(話)」、つまり「相反する話」です。ここも「話」で、「ファクト」ではないとまず指摘したい。Paradoxの由来も面白くて、「para(〇〇を越えた)」+「doxa(見解、一般世論)」、つまり「現在一般的に認められた世論を越えるもの」になります。
言葉の由来からも分かりますが、矛盾が起こりうるのは、理論や世論、つまり「論」の世界でのみです。理論は人間が立てるもので、現実とは別のもの。人間が理論を立てるのはだいたい現実を理解しようとしているからです。現実に対して理論をぶつけてみて、それで理論が矛盾しているなら、それは理論を更新する必要があるということになります。
一見矛盾しているものの背景を見れば、根本でつなっていることに気づくことがあります。氷山みたいに、表面上には10%くらいしか見えないものは、水面下のほうでは実は繋がっていたりします。
「人間は矛盾している生き物だ」とよく言われますが、簡単な論では把握できないくらい複雑な生き物だからではないでしょうか? 宇宙にはまだまだたくさんの謎があるように、「小宇宙」である一人の人間にも数々の謎があります。一生のうちにその一部が解けるのも幸運なこととされます。
表面にとどまらず、人の心の中を見るには勇気が要るのは本当の話。表に出ていない90%の部分の中には何があるかが分からないからです。しかしよく見ると、一見矛盾に見えるものの裏には理由があったり、意図があったり、背景があったりします。水と油ほど異なる多種多様なものを全て許容できるくらい広い心になろうとする人もいます。そのために、自分の心をそこまでかと思えるくらい引っ張ってみたり、伸ばしてみたりして、心を実験室のように扱っています。
人を見れば見るほど、フィルターとして使っている「理論」を更新しなければなりません。自分の「人を見る目」が変わりますし、自分自身も少しずつ変わります。理解しようとしながら、色々なことを受け入れる必要が出たりして、結局はどのような成長を強いられるかが分かりません。
面白いことに、人を惹きつける芸術は、一見矛盾している人の心に光を当て、私たちが現実を見る時にフィルターとして使っている「理論」の更新を促すものだったりします。気づかないうちに「この矛盾しているものはどこで繋がっているか」が気になって、もっと深く理解しようという気持ちになります。素晴らしい作品は、底知れない深みを探検する機会を与えてくれます。だから矛盾は結局、表面上には見えないもっと深いレイヤーの存在を暗示しています。
写真:氷山 by AWeith, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
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