見出し画像

日蓮正宗の信徒はカードリーディングして良いか?

結論として、

いきなりですが、しちゃいけないと思います。

わたしは、実家は浄土真宗。南無阿弥陀仏です。

母は特に熱心な信者ではないけど、ご飯を炊いたらまず、お鉢様と言って、仏壇にお供え。

親戚がうちに戻ると、家族でお仏壇に手を合わせます。手土産をお供えして。そして、盆正月はお墓参り。

普通の信心だと思っていますが、普通って何基準って話。

その後、わたしは生き惑ったとき、勧誘によりキリスト教の洗礼を受けました。大学はプロテスタントでしたし、洗礼を受けて幸せが見えてくれば、と考えました。

教会ではみんながハレルヤ讃称。びっくりしながらも真似してみました。

でも、何も変化なく、週イチの教会通いも止めました。

その後、スピリチュアルブームで江原啓之の仏教の考え方に納得。左脳系なんで、理屈が分からないと入ってこないんですね。

自分なりの自他との関わり方、魂の修行、幸せの在り方など、納得することができました。

と、ところが!

気持ちの拠り所を自分なりに持ち、それなりの幸せに行き着いたわたしですが、

再婚した夫は、日蓮正宗だったのです。

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)とは、宗祖日蓮を末法の本仏、三大秘法を宗旨とし、日本の静岡県富士宮市の大石寺を総本山とした、富士門流に位置づけられる仏教の宗派である。信徒数は、2020年令和二年 現在 公称79万人である。 (大白法 参照)

彼の信心は、わたしの宗教哲学をひっくり返しました。まさかの神話型イエスキリストの仏教版。なんて解釈、張り倒されますね。仏教って、もともとブッダ、お釈迦様。なのに、日蓮大聖人様と崇めるのはなぜ? そして、どうして他の宗教を批判するの?

最愛の人が、理解を超える信心を持っている…。

知り合って、少し経ったとき。初めて彼の家に行ったとき、彼は猛烈に緊張していました。親に会わすより緊張する、と。実家行くわけでもないのに、なんで? それは、宗教の違いでわたしたちの間に亀裂が入ることを恐れていたからのようです。幸い、わたしは偏見がなかったので、お仏壇を見せられたとき、自分が躾けられたように、自然と手を合わせました。「南無妙法蓮華経」と唱えてね、と言われ、聞いたことある〜って。別にそこまでは、何とも思わず。

改めて、宗教について彼が話をしたとき、彼がすこし遠く感じました。大聖人様、と崇拝していることが窺えます。結婚しても大丈夫だろうか?いろいろ調べてみました。

わたしは、心理学や宗教哲学にも興味があり、実は本場の仏教国で、勉強してみたいなぁ、なんて思ってたんです。それこそ、出家願望のようなものもあり、瀬戸内寂聴さんにも憧れたり。

だから引き寄せたのか?? 彼は仏縁だ、と言いました。わたしは自分がしてきた罪を精算したいと思っていました。殺生や、知らずに人を傷つけたこと。「凡夫だからお題目を三唱するんだよ」と言われ、心が洗われたような気がしました。そうか、しょせん何もできない。確かにわたしが自分自身に課す誠意、男性に求める優しさは、ある意味、今の日本の無宗教、無秩序の中では生きづらいものがありました。誰も聖人君子にはなれないし、そんな男性いない!

でも、「いた!」って思ったのは、彼がそういう思想を持っているからこそ。揺るぎない正義感は、本当に頼もしいのです。めちゃくちゃ優しいし、普通に面白いことも言うし。でも、この宗教で彼が出来上がっている。それは受け入れるしかない事実。

ただ、理屈も分かるのだけど、制約がままあり、神社に行ってはいけない、とか、占いはマヤカシだ、とか、すこし浮世離れした感じ。まじで、「本気で言ってんのかな?」と目を見たくなるような。

自分なりにも、理解を深めようと、難解な書物を読んだりしているうちに、あ、これはわたしが、かつてしたかった勉強だ、とやっぱり思ったわけです。

池上彰の著書によると、世界3大宗教、キリスト、ヒンズー、イスラム、宗教戦争も、結局は時の支配者が国を治めるのに利用しただけ。日本は自由。宗教の自由は認められている。と、思って生きてきました。

朝晩、勤行として、2人でお経を唱えます。朝は30分、夜は20分くらい。毎日はなかなか大変。わたしが退院した翌日も、熱がある日も、飲んでベロベロのときも、欠かさず、です。

最初は、こんなにガチなんだ!って驚いたし、反発する気持ちもありました。お経上げてるとイライラするって、こんな信心、わたしに続けられるの?

でも、信心を止めることは、夫曰く即離婚になるそうで…。マジか…。早速離婚危機。でも、わたし、やらないから別れるは、選択肢にやっぱりなかったんです。仏縁に任せて、突き詰めてみよう。もはや、2人の共通の趣味。コミュニケーションだ、と。これって条件付きの愛じゃない?なんて自問自答もありながら、学びは続くのです。

ただ、占い禁止はやっぱり納得できない。

譲れないなんて、たいそうなものじゃないけど、別に言葉が違うだけで、天の声の聞き方。夫は勤行で必要な答えが降りてくるというけど、別にエンジェルカードでもいいじゃない?

邪教や密教みたいに怖がる節があるので、あくまで統計学だと言い張るわたし。でも、夫の人間くさいところは、ヘビースモーカーだったり、宝くじ買ったりするところ。

みんな幸せになりたいだけ。

宗教とは何なのか?争うためじゃないことは確か。勤行しなきゃ離婚って、理解できないけどそれこそ「バカの壁」なんでしょうね。生まれたときから日蓮大聖人様を拝んできた彼の考え方は分からない。ときには占ってみたいわたしの気持ちも、分からないでしょう。ただ、彼を見ていると、彼にとって、信心自体が揺るぎない幸せだと分かるから、わたしもその世界に触れていたいと思う。これも愛なのかな?なんて。

「神社にはもう悪鬼しかいないから、近寄らないで」って本気で嫌がる夫と過ごしていると、わたしにもちょっと神社が怖く見えたり、「神様おねがい!」ってセリフも言わなくなってきた自分がいます。

そのうちカードからも離れてしまうのかな?と久しぶりに引いてみて、やっぱり、御本尊様と天使は仲良くしてほしい、と思うのです。ダメかな?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?