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「新しい民主主義の始まり」と彼らの知らない世界

11月14日の「ムガベ大統領が軍の監視下に」というニュース速報を目にして以来、この10日間、たくさんジンバブエのことを考え、思い出しています。南アフリカに亡命していたムナンガグワ前副大統領も帰国し、「新しい民主主義の始まり」だという新政権の成立もまもなくです。アフリカに縁の深い友人たちとは、1980年のジンバブエ独立時から首相・大統領として国を独裁してきたムガベが退いた国はどうなっていくのか、とあれこれ話が尽きません。

エイズ対策の仕事で、ジンバブエには2012年から3度訪れました。毎回、1週間程度の出張でしたが、行く度になぜかもっと好きになる国。隣国ザンビアに住んでいた経験で、元は同じ国(ローデシア)であった共通点を見つけることも多いものの、それよりも、ザンビアよりもはるかに質の高いサービスや手工芸品に驚いたりしたものです。 まだ経済制裁の余波が残っていた2012年にはスーパーの棚の半分が空いていたけれど、2015年末には南アの地方部とさほど変わらないような品揃えで、たった3年でこんなに違いが出るのかと思ったことを鮮明に記憶しています。

しかし、ムガベ政権「最後期」ともいえるこの15年ほどは、白人追放運動、2006~08年の経済崩壊→ジムドル廃止や、2008年の不正選挙、野党弾圧など、国としてとんでもない状態になっていたのも事実。近隣国でエイズ発症を抑える薬・ARTを使った治療がどんどん地方の病院にまで拡大していた期間も、ジンバブエだけは政府のアカウンタビリティが低いゆえに海外からの資金的支援を受けられず、ばたばたとHIV感染者が死んでいく時期でした。(その後、2012年頃から劇的に資金援助が進み、現在は随分治療成績も生存率も上がっています。) そして、その国として機能していなかった顕著な例が教育。2000年までは右肩上がりで90%以上だった小学校課程終了率が、2000年代半ばには80%を切るようになってきていました。この数年では経済は急上昇していたにも関わらず人口の6割以上は貧困ライン以下の生活で、貧富の差も大きくなってきていたところです。今も子どもの半分以下しか中学校に進んでいません。

そんなジンバブエ。仕事を通じて親しくなったジンバブエ人も沢山いますが、ムガベ政権には文句は山ほどあっても、それを口に出すことは危険だし、そもそも皆ムガベがいない国を想像できないとよく言っていました。 それもそのはず、私より少し若い30代の彼らにとっては、生まれた時からムガベが国のトップであり、ムガベ以外の政治家が舵を取る国を見たことがないのです。 どれだけムガベが年をとっても、その取り巻きの政治家たちが「ムガベならこうする」と忖度して、ムガベの妻であり後継者筆頭候補だったグレース・ムガベを中心とした独裁政治の継続を続けていたのがこの近年のジンバブエでした。  

見たことがないものには想像ができないから、ムガベ政権崩壊後の国がどうなるかよくわからない、というのも納得。 でもよくよく考えたら、日本人である私だって自民党政権になってから生まれて、93年に「38年ぶりの政権交代」を目撃する経験をしました。日本はその後も政治の世界では変化や進歩があったりなかったりですが、それでも国は続いているものです。 ジンバブエがこの先のポストムガベ時代をどう作っていくのか(或いは政権が代わっても何となく変わらないままなのか)、我々の知らない新しいジンバブエを、興味深く見ていきたいと思っています。