自分の居場所

2020年1月14日㈫

日が変わっても、気分は落ち込んだままだった。日曜日に沈むとこまで沈んで"心の膿"を出し切ったつもりだったがまだ傷は癒えていなかったようで、そこに新たな侵襲が加わってさらに気分は落ち込んでいた。こうなるとかえって眠れなくなる。赤ワインを飲んで、好きな音楽をひたすらきいていたら3時になった。

火曜日は研究室のミーティングがあるので9時には大学にいかなければいけない。睡眠時間は削ってしまったがちゃんと起きれて間に合った。抄読会とほかの人の研究発表をきいたあと、私の学位審査報告と質疑応答内容についてミーティングで報告と相談をした。問に対してこれはこう言おうと思っている、これは分からないのでどうしたらいいですかなどと私が話すと、指導の先生は丁寧に答えてくれて、最後に「うん、書けそうですね。」と朗らかにまとめてられたのは少し拍子抜けしてしまった。ただその居心地の良さにすっかり心が温かくなり、数日間のひりひりしたところがすーっと癒えていくような気分だった。

午後はワインと寝不足のせいで1ミリも作業に集中できなかった。こんなことなら昨日の夜、うじうじしてないでさっさと寝ればよかったのである。

夜は研究室の新年会兼歓迎会があった。去年の11月に新しく准教授の先生がいらした。自己紹介の中で、留学先でこてんぱんにやられて帰ってきたという話が印象に残った。そのあとは研究室のスタッフさんや後輩の子と話した。学位審査があったのをみんな知っていたのでそのことについてきかれて、結構けちょんけちょんに言われてしまいました、と色々あったことを話した。少し時間が経って思うのが、プチ炎上の理由は『議論のスタート地点の不一致』にあったと思う。背景を丁寧にプレゼンしましょう、と事前に審査員の先生には言われていたが甘かった。大学院生の研究はある程度研究室内のいってみればコンセンサスからはじまっているので、それが前提となる"ゼロ地点"から私たちの研究は始まる。だけどそれはあくまで研究室内のゼロ地点であって万人に共通もものではなかった。私たちの設定したスタート地点よりももっともっと遡ったところに本当のゼロ地点があり、しかもその場所は人それぞれ異なる。研究とはスタート地点の位置づけを吟味するところから、自分たちが思っているよりももっと本質的な意義からはじめるべきだいうのを痛感したし、みんなにもっと伝えていきたいと思った。

最後に教授がいらして、ずっときけていなかった私の進路についてきいてみた。一応今の研究室に枠をおさえていてくれたらしい。私の4年間やったことに興味があるといってもらえて、今後こういうことをやってほしいと色々とお話できた。

帰り道、連日泣きまくっていたのにすっかり元気になっていて、落ち込んだ時の解消法とかがあっても、やっぱり人に癒される効果は大きいのだなとしみじみした。1月の冷たい空気を感じながら、自分の居場所はここなのだなあと思うとまた心がじんわりと温かくなる感触があった。


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