言語野と主体なるものの解離について

  1. ここでいう言語野は特定の脳部位を指すものではなく、こうきたらこう言う、というような社会適応に関わって自動化されている機能の総称。「ついつい口走っちゃった」の”口”のイメージ。頭で考えるまでもなく、言葉を聞いた瞬時に怒りやイライラが湧き上がったときの湧き上がる機能そのものもこちらに入る。ドパミン依存の自発性に近しい。

  2. 「主体なるもの」は、瞬発的な感情とは対して、記憶に基づきメタで思考する「そのもの」。利己心。前頭葉。

難しいのは、1は負の社会適応シグナル(従属、従順)となりうるので、普段は全面に出していてもよいのだが、油断してると、そこを突かれるときもある。

進化学的には1,2の順に発達したのは自明(1で埒が明かない民が2を発展させることで平等主義的コミュニケーションが生まれる)だが、現代の難しいのは、2を確立するためには、2で1をする場面が求められるところ。

建前によって相手を泳がすイメージ。しかし、
建前で相手を泳がすうちに、無自覚にそれが1で行われるときがあり、相手はそこを容赦なく突いてくるので結果的に2が解離する。=2としての1
と定義。

身体性によっては「2としての1」が幼い頃から内面化している場合があり、それに気付けないとパーソナリティ障害に近しい不便を感ずる。


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