成績以外にも表れる意識の違い

 野球選手の社会貢献活動、慈善活動がすっかり一般的になりもう随分とたった。各球団、各選手個人個人で例えばホームラン1本につき○○万円を福祉施設に寄付など色々自分達のプレーを通して1人でも多くの人を元気づけようとしている。
そんな中SoftBankの柳田悠岐選手が先日の契約更改の際に自身がおこなっている活動に関して「(こういう時だからこそ)TVを見ても困っている人は沢山いるのでこういう活動は自分のモチベーションが続く限りやり続けていきたい」と話していた。私は慈善活動をやっているから偉いとか、していないからダメだ、と言うつもりはない。だが柳田選手程の一流プレーヤーがこういう発言をしてくれる事はとても意義深い事だと私は思う。
だからこそ特に今年のような特殊な年に自分のエゴだけを出し(ているように見えてしまう)てしまっている選手には怒りと同時に悲しさが入り交じってしまう。
というのもオリックスバファローズの田嶋大樹投手の契約更改の一連の動きを改めて見たときにそれを感じたからだ。
1度目の交渉の際に彼は球団から1000千万円増と言われている提示を断り、2度目の交渉で2400万円増の4200万円でサインをした。交渉後田嶋投手は「1回目の交渉の内容も加味してもらった」と嬉しそうに発言をしていた。
今年彼はプロ入り3年目で初の規定投球をクリアしたが4勝6敗、防御率4.06と正直並の若しくは並のやや下の成績だ。それが1400万円上積みされたとなると中々応援したいと思わないのが普通の人間の心理ではないだろうか?柳田選手と田嶋投手は勿論貰っている年俸にはものすごい差がある。だが今自分が野球選手として1人の準公人(私は有名人は一般的な私人と違うと思っているので)として社会から何を求められているか、を感じ行動するのは年俸の高い低い関係なく誰でもできることだ、そしてそういう意識の差で心から応援したい選手、一流かそうでない選手かが分かれるのではないだろうか。

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