称賛と根性論の間に蔓延る闇

 野球もなく、仕事も休みが増え、家で小説を読みふけったりしている。
 先日、Twitter上で相互フォローしている方と平井投手の件でやり取りをさせてもらった。始まりはその方の平井投手がなくてはならない、という意味合いのツイに対し、私がリプ返をした事からはじまった。
それはやはり最後の肉離れしていたのにも関わらず、それを隠して試合に望むのは本当にチームの勝利を最優先しているのであれば防ぎようがあった、というものだ。
 断っておくが、私も昨年の平井投手のチームへの貢献には頭が下がる想いだし、彼がいなかったら優勝の確率は下がっていた、とさえおもっている。だからこそ最後の件は残念だ、という想いだった。
 それに対し彼はケガがどれだけ影響したか分からないし、過去にはケガをしてもそれなりのパフォーマンスを発揮した人もいる、というスタンスだった。
 確かにケガと成績が悪い事との因果関係は分からない。しかしリスクマネジメントの観点からみたら成績という結果とは別にどのようにリスクを回避させるかは重要な事だし、選手をマネジメントするベンチの大事な仕事の一つだと考える以上、やはり分かってて投げさせた事、本人が投げた事実は褒められたものではない。
 しかしそれに対し、彼は他に代わりはいないし、他の投手も打たれたのだから仕方ない、と話の入り口の選手のリスクマネジメントがスッポリ抜け落ちて、打たれた抑えた、の結果論にフォーカスしていった。
私はこういう考えが一定数いるのでは、という現実をとても憂いている。なぜならリスクマネジメントというものをどっかに置いてきぼりにして、結果論のみで論じるようになればそれはこの件だけでなく、私たち一般社会においてもサービス残業万歳、ブラック企業万歳、といった具合に悪の巣窟の温床になってしまうからだ。

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