暗闇から明るい朝へ

「暗闇が怖くない夜なんてないのさ、だから太陽の明るい朝がくるんだ」これは僕が通っていた心療内科のおじいさん先生が言っていた言葉だ。
中学2年生になり程なくして僕は部活動の同級生から暴力を伴ういじめを受けるようになった。
原因は何だったかは今となっては分からない。思い当たるものといえば、僕の話し方かもしれない。大人になってだいぶ改善されたが当時の僕はかなりの吃音症(どもり)の症状があった。その喋り方がおかしい、とからかわれ始めたのが最初のいじめの入り口だったのかもしれない。
そんな中学二年の夏休みはいじめがエスカレートしていった。夏休みになると部活動の夏期練習のスケジュール表が渡され、それに従って各部活動がスケジュールをこなしていく。
僕とその彼はバスケットボール部に入っておりほぼ毎日のように顔を合わせていた。
その期間中既に僕は彼のサンドバッグ状態と化していた。
朝、目が合うとみぞおちにパンチが入った。また視線を逸らすとそれはそいれで腰の辺りに飛び蹴りが飛んできた。
今思えば逃げる手もあっただろうが当時の僕の世界の広さは家と学校の往復程度位の面積しかなく、またいじめを受けてる事を周りに知られたくなく、また自分自身がそれを認めてしまうのは自分を否定する気がし、何とか平静を装って日々を過ごしていた。
しかし僕の心はズタズタになり、自分自身をコントロールできなくなりどうしようもない心の揺れを壁にぶつけたりしていた。家の壁の穴は行き場を失った僕の心の不安だった。
夏休みが終わり暫くするとふとしたきっかけでいじめが発覚する事になった。顧問は僕にいじめに気づかなかった事を詫びた。ただそれでも僕は自分の気持ちを口に出す事に恐怖を覚え、必要以上に周囲を気にするようになった。そうなのだ、いじめは少なくなってもゼロになっていたわけではないし、成績も下から数えた方が早く心と肉体の乖離が激しく目の前にある真っ白な紙を鉛筆でぐちゃぐちゃに汚していた。
 そんな中家の壁の穴が更に増え始めた頃に心療内科に通う事になった。
通いだした最初の頃は自分は心療内科に行かなければいけない欠陥商品なのか、と嘆いた。
それでもおじいさん先生は僕に根気強く付き合ってくれた。コミュニケーションスキルをつける為に色々な話をした。
「好きな動物は?」「ゾウ」「どうして?」「四本足でたってるから」「それじゃ、ライオンだってそうじゃないか」僕はううん、と考える。「耳が大きい」「それから」「穏やかな感じがする」
そうやって少しずつではあるが自分の声が出せるようになった頃冒頭の事を言われた。
今僕は40代になっている。あの当時の悲惨な想い出は消えないけど何とか今日まで生きている。

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