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ジャニーズのあれやこれや雑感

盛者必衰、わずか数ヵ月でもはや「ジャニーズ」という名前が消えそうなところまできてる感じですが…。

僕、昔からジャニーズは“大好き”です。

"僕世代あるある”ですが、音楽・ショービジネスのスタートは光ゲンジで、誕生日プレゼントにローラースケートをお願いしてた感じです。

その後も「分かりやすいもの好き」としてはジャニーズのフォーマット、楽曲はずっと好きです。
 

 
と、いうわけで「元々嫌いだった人間が、ここぞとばかりに叩く」という立場ではなく、むしろ『擁護派よりの中立』であると自らの立場を示したうえで、今回の問題をテキトーにツラツラ書いてみます。
 

 

・とりあえずシンプル『ワンマン企業』あるある

まず、この問題の根源は「一代で成功をなしたワンマンリーダーが失脚した場合、その後の体制を維持することは困難」という日本中のあちこちの中小企業で見られる単純なハナシだと思います。

ジャニー喜多川氏は、自分の能力や威光が健在であったうちに後任の体制を構築し業務を譲った上で院政を引き、それと同時に自身の抱える醜聞や闇の部分を清算する作業に入っておかなければならなかった、という。

要するに「晩年、最後の詰めを誤った」て話ですな。

これをしておけば、引退後に件の醜聞が露見し叩かれても「個人のしたこと」としてある程度組織と切り離しておくことが出来たと思います。

ただねぇ…これを出来るリーダーってのが‥まーいないんだわ…苦笑
そもそもこの手の人は基本「作り上げた組織=自分のもの」という思考ですから…

ここは、ワンマンファミリー企業に勤めたことがある人は容易に想像できると思います。



・時代背景とジャニーズの「独立性」

現代は置いておいてフォーリーブスだなんだの頃でいえば、芸能界なんてのは反社と関わりどころか『ヤクザそのもの』の世界だったわけです。

その辺はガーシーのノリで書かれている美空ひばりとかの暴露系伝記を読んでみるとよいかと。

当時、事務所のお偉いがタレントを囲ったり、タレントがヤクザや政治家の愛人だったり…、事務所が「貢ぎ物」として送ったり…みたいな話は「当たり前」レベルだったわけですね。

コンプラがしっぽ巻いて逃げ出す状態w

で、まぁそれは男女に限らずお偉いに男色が多いていうのはよくある話で、そこはジャニーズに限ったことではない闇の部分だったと推測されます。

なので時代背景を無視して「ジャニーズだけの所業」「ジャニー喜多川が群を抜いた鬼畜」のように論じるのはフェアではないと感じます(もちろん“だから許される”という話ではないですが…)。

 
一方でこの「ジャニーズ」という集団、今もそうなのですが”妙な独立性”を感じる印象があると思います。

これを掘っていくと、まずジャニー喜多川という人物は元々『米軍関係者』なわけです。

「オモテのエピソード」として、ボランティアみたいな形で日本人の少年を集めて作った野球チームが原点で、ブロードウェイのようなショーを作りたいと夢を見ていた喜多川氏がそれをミュージカル劇団に進化させていった、というのは知られた話です。

「米軍」と「日本人の美少年を集めた」という事象で色々推測できることもありますが…そこは置いておいて…苦笑

ここで注目すべきは、冒頭に書いた「当時の芸能界はヤクザそのもの」という中で、ジャニーズのバックにいたいわゆる「ケツモチ」は『米軍関係者』や『海外マフィア』であったと推測されることです。

この時期でいえば再独立こそしていたとはいえ、アメリカの支配力は以前強かった時代です。

その中で日本の芸能事務所およびその奥の暴力団がジャニーズとのバッティングを避けた、というのは十分考えられると思います。

これは当時の芸能界的な背景でいえば、まだ音楽は歌謡曲・演歌が全盛であり、男優は松方弘樹や梅宮辰夫的な「男臭さ」をウリにする人が主流であり、『線の細い可愛らしい少年』という存在にあまり市場価値が無かった(そもそもそういうジャンルが無かった)ということもあったと思います。

要するに自分たちのシノギとはバッティングしなかったわけですね。

なので日本の芸能組織とその裏にいる存在全体で「米軍がバックにいると噂される得体のしれない外国人がやっている所と争いたくない」と『距離を取って共存』の道を選んだと推測できます。

結果、この市場は爆発的なシェアを得るわけですが、長期に渡って『二番煎じも許さない独占市場』となったのはご存じのとおりです。

 
さて、前段が長くなりましたが今回の問題、この『独立性』があだになったという側面がある気がします。

ご存じのように2000年ごろを境に、世の中的に急速に「暴力団排除」が盛んになり、芸能人にとってむしろある種のステイタスであった「ヤクザとの交流」に対する目が猛烈に厳しくなります。

またご存じ「コンプラ」という言葉が出だしたのもこの前後な気がします。

具体的な事件でいえば島田紳助が引退した一件や吉本の闇営業問題など...、昨今では刺青が入ったオッサンと写真を撮るだけで芸能界から追放されそうな勢いなわけで。

その中で芸能界は「旧来型」からの体制変更を余儀なくされたわけです。

もちろん裏社会との繋がりが無くなったわけではなく、やり方が狡猾になりバレにくい形になっているだけだと思いますが…苦笑

とにかく表向きであれなんであれ、“醜聞が表に出るハードルが低くなり、受けるダメージは大きくなった”ことに対しての対策を急ピッチで行ったはずです。

で…この時期あたりで…多分…ジャニー喜多川氏と同世代前後の…

“旧世代の芸能界のボス”みたいな人達の多くが要職を退陣、引退しているような気がします。

実質の院政を引いた人もいれば、本当に引退した人もいると思いますが、とにかく21世紀を迎えるあたりで「前世紀の膿」を持った人は、その膿を抱えて表舞台から去ったように思います。

個人的な印象ですが、ここ数年で不自然と感じる位に大物演歌歌手(特に男性)や歌謡曲系の大御所がTVに出なくなったのも無関係ではない気がしますね。

彼ら的に「ヤクザ幹部の誕生パーティーに出る」なんてのはむしろステイタスだったわけで、「交友があった写真」なんて当たり前のようにあるでしょうからね…

コンサートなどの舞台で稼ぐ術はあるわけで、「TVや大衆メディアからは距離置くのが賢明」と判断するのは自然な流れだと思います。


一方、その独立性が故に‥

”時流の波に…ジャニーズは見事に取り残された”

と。

これは、SNSやサブスクなどへの進出が明らかに遅れ、現在も使い方が下手なままということからも伺えることですね。

ジャニー喜多川(とその周辺)がほぼ単独で培ったメソッドや人脈だけで長年上手く回っていたために、その辺りの時流の変化を軽視したというのはある気がします。

同時に喜多川氏の加齢からくる能力・神通力の衰え、そして本人がそれを認めない(認めたくない)ことからくる施策の硬直化などが発生していた気がします。

この辺は先述の「ワンマン企業の末期」そのもの

で、こうなってくると組織内に反乱分子が出てきて…以降の流れはまぁニュースで話題になっていた通りでしょう…。

そういう意味では、ジャニーズという組織はだいぶ前から“詰んでいた”ように思います。

 

 

・「人類史上、最も愚かな事件」て…

さて、ではジャニー喜多川の愚行自体はどうなん?というところでいえば…

先述のように「旧来の芸能界時代」という視点でいえば。

“とても酷いコト”ではあるが”同業他社と比べて飛びぬけて酷いことをしていたわけでもない”

という気がしています。
まぁどうやら「割と最近まであったらしい…」というのは先述の時流的になものも含めてあれなわけですが…

とはいえヒガシがいうところの「人類史上、最も愚かな事件」なんて話では間違ってもない…

ナチスとかオウムとかどうなるねん…みたいな…苦笑
そもそも日本のイチ芸能事務所が「人類」なんて単位を出す時点で”傲慢さ”を感じても仕方がないわけで…

話それますが、これはもう染み付いた「東山紀之」というキャラクターの大失言だと思いますね…裏で危機管理コンサルが青ざめていたと思いますw

話を戻してまして…もちろん「他もやっていたから許される」という話ではないのは大前提ですが…

それにしても何か「国が動いて…」みたいな話も出てるみたいですが、これは目立ちたがり屋の人権屋や政治家のパフォーマンスってだけで何の意味もないかと思います。

ここに関しては、現行の法ルールの下で賠償請求をし裁判を粛々と行っていけば良い話です(被害者側に「正規ルートで勝てる見込みがないから色々騒いでいる」ような人が一部いる印象もありますしね…)

また「じゃあ事務所に言われて枕営業した女性アイドルとかどうなるねん?」てことになるわけで、こういう「整合性が取れなくなりそうなこと」ってのは筋が無いことが多いように思います。

 

 

・じゃあ、どうするか…

僕、一連のジャニーズの流れを見ていて感じるのが、

“ジャニーズ”の「大衆・お茶の間のスター」としての役割が終わった

というもの。

幕引きがサイアクなのは寂しいところですが…

まぁここはSMAPがゴタ付いたあたりですでに実質終わっていて、既に延命治療みたいな状態だったと思うので「トドメを刺された」が正解な気もしますが…苦笑

とにかく、バラエティー番組やドラマの中心だったり、ニュースやスポーツのキャスターをやったり...といったいわゆる「芸能界・お茶の間のセンター」として復権することはもはや不可能だと思います。

もっとも、ジャニーズに限らずこれだけメディアが多様化した中で、”中心となる存在そのもの”が不在・不要となってるのが世の流れなわけです。
イメージとしてはかつて「国民的娯楽」であったプロ野球に近いと思いますね。
  
で、どうする?といえば、こちらもプロ野球と一緒で、依然として何万・何十万の集客力を持つ一大コンテンツではあるわけで…

規模を縮小しメディアから距離を置いた上で、ターゲットを「大衆」ではなく「ファン」主体にした上で、コンサートや舞台などを中心として活動していくのがベターという印象です。

元々、ジャニー喜多川氏が立ち上げの時に意識したとされる「宝塚」に近いスタイルですね。

でも…不安なのが…これはもう何となくの印象でしかないのですが…
マスコミから漏れ伝わってくる「ジュリー残りのヒガシ・キムタク体制」は…

“先に崖しかない「お茶の前への復権を目指す」道を進んでしまいそう”

ということだったりします…苦笑

個人的にはこの「芸能界の主役に返り咲く」を目標とするのは『サイアクの悪手』だと感じるので。

 

 
と、いうわけでまとめると。

・根底は「ワンマン企業の凋落あるある」で時流を読み切れなかった喜多川の失策

・ジャニー喜多川のやってきたことは最悪の愚行であることは間違いないが、かといって芸能界の特異性や時代背景などを加味すると「この人ひとりだけ飛びぬけて非道だった」という話ではないと思う

・賠償等は現行法に基づいて粛々と行えばよく、それ以外の所から騒いでくる意見には耳を傾ける価値はない

・未来の進むべき道は舞台を中心として「対ファン重視」のビジネスモデル、芸能界の主役に返り咲こうとするのは最悪の打ち手


というのが僕の意見となります。

長々と失礼いたしました。

 

 

 

 

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