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Lookしないで、Seeしてみる

剣道では、「遠山の目付」ということがいわれます。試合で相手と向かい合ったときに、一点を凝視するのではなく、遠い山をあおぐように、ふんわりと見なさいというのです。

英語でいえば、意識的に Lookするのではなく、見えてしまう状態 Seeのこころを大切にということでしょう。宮本武蔵の「五輪書」にも、目をギュッと剥かずに、額にシワをよせずに、「うらやかにみゆる顔」で対峙せよとあります。

わたしたちが、何かをじっと見るときは、網膜のまんなかで、中心視をします。中心視では、モノの色やカタチが、高い解像度で分かるわけですね。

一方、周辺視では、モノの場所や動きが感じ取れます。からだの動きと結びついており、無意識に見ているという感じ。動体視力にも関係してきます。

わたしたちが発想をするための情報を得る場合、中心視を働かせます。「Akechiは、D坂で何を見たのか」で書いたとおりです。凝視をして、筋道をつけて考えていくことはとてもたいせつです。

同時に、周辺視ができるかどうか、これが重要。お店に入って、見るともなくまわりの雰囲気を感じる。「あれっ、前より、活気がある」とか、「模様替えをしたのかな」とか。

「捨て目を使え」ともいいますね。Lookではなく、Seeしたことを覚えておくことです。無意識的に五感が感じ取っていることを、自覚していく姿勢でもあります。

でも、現実はどうでしょうか。つねに、スマートフォンの画面に見入っています。テレビなどに比べて、画面が小さいので、顔を近づけて凝視することになる。ということで、視力の低下にも影響があるようですが、何よりも、周辺視の敏感さが落ちてしまう。

気配に鈍くなることは、動物なら持っている危機回避能力が落ちること。もっと大切なのは、なにげない周辺視が、「ああ、春だなあ」といったからだ全体の「喜悦」をもたらす力を持っていることです。周囲とのイキイキとした相互作用は、アイデアを生み出すエネルギーにもつながるのです。

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