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25 からだの全部で考える

 幼い子供に「いくつ?」と聞くと、たいてい指で「みっつ」といった数を表します。簡単な足し算についても同じで、彼らは指でやることが多いようです。幼い子供にとって、指は数を理解するうえで、大切な「道具」なのですが、実は幼児教育の専門家によると、「計算時における指の利用の問題」は、十分に解き明かされてはいないとか。
 「従来の研究の多くは、その理論的枠組みが情報処理的なものであったために、指を認知的負荷を減らす手段として解釈する傾向が強かった。しかし、構成論の立場から考えると、指は認識の起源と見なすことができ、なんらかの抽象の過程が指の動きに反映されている可能性がある」(杉村伸一郎・山名裕子「幼児の足し算における指の利用」『幼年教育研究年報』第27巻 2005年)。
 すべてを頭で理解した後に、指を「計算道具」として使っているというより、指によって、数とか足し算という概念自体が理解できてくる。指が脳の手助けをしているということのようです。ものごとを認識する場合、頭だけでなく、からだの働きが役立っていることを示しています。
 幼児と大人は違うのでしょうが、どうやら私たちは、ものを考えるとき、頭だけを使っているのではなさそう。いいかえれば、思考は頭の独占物ではない、ということ。職人さんは、よく「手が覚えている」ということを言います。彼らは頭でああしてこうしてと考えなくても、手が自然に動いて、もっとも効果的な方法を考えてくれます。また、受験勉強などで、鉛筆で何度も書いて覚えた単語などは、いざという時頭にパッとひらめきます。これは、手が答えをちゃんと覚えているから。
 頭と身体の関係について、こんな実験があります(Gladwell,M. Blink.Little, Brown and Company 2005 翻訳書は沢田博・阿部尚美訳『第1感「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』光文社 2006年)。被験者に、赤と青のトランプの、どちらか一方を引いて、出た数によって勝ち負けが決まるゲームをやってもらうのです。赤のトランプにはあらかじめ細工がしてあるので、これを引くと多くの場合ゲームに負けてしまう。そのため、多くの被験者は50枚ほどめくった時点で、赤のほうは変だと気づきます。ところが、被験者の手の発汗反応を調べていくと、50枚よりも、もっと前、10枚目をめくった頃にはすでに手に汗をかいている。不思議なことですが、頭よりも身体のほうが、早いうちに「異変」を感じ取っているのです。
 学生を見ていると、頭ではあまり考えているように見えないのですが、身体によって考えが深まっていく人がいますね。彼女は、ダンスをしながら、クラブのDJをしていたのですが、卒論のテーマで悩んでいました。「自分がいちばんやってきたことを、考えてみたら」といいますと、アフリカ系アメリカ人の音楽とダンスを掘り下げてみたいというのです。
 関連する本を読み始めると、とてもよく理解できるとのこと。卒論ができあがってみると、アフリカ系アメリカ人の歴史に寄り添いながら、彼らの音楽とダンスを深く分析している作品になりました。クラブでDJをやっているプロにも取材をして、みんなが根底で共鳴しているものをつかみとっています。
 本人も、専門書を読むことが楽しかったようで。自分の問題意識とからみあった書籍は、文脈がきちっと把握できます。思考は、興味を抱けないものをたくさん呑み込んで、しかる後に「そのまま吐き出せ」と命じられて生まれてくるようなものではないのです。関心の深い事柄を、「納得する」「そうは思えない」といった腑分けをしながら、一本の筋にまとめていくとき、自ずから立ち上がっていくものなのですね。身体を巻き込みながら、考える。その大切さを彼女から学びました。

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