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38 喜怒哀楽をエネルギーにして考える

まずは喜怒哀楽の『喜』、喜び。嬉しいことがあって、喜んでいるとき、私たちは肯定的になれます。志望校に受かったとき、たまたま書店に入ったとしましょう。エンターテイメントでも、あるいは、自分が専攻しようとする領域の本でも、その晩は、ワクワクしながらページをめくって思いが広がっていくはず。感情という機関車に引っ張られて思考はどんどん進みます。
『怒』、怒り。「こんなおかしなことがあって良いのか」と腹が立ちます。そこで、その原因を調べ上げてやると決心して考え出す。迫力があります。頭を使うことを面倒くさがっていたのに、難しい本も読み始める。ある留学生は、来日してから自国の問題を、色々と考え始めて視野が広がりました。「漠然とした怒りがあったのですが、それがどこから来るのか、はっきりしました。状況は変わりませんが、何も見えずにボーッと生きていくのではなく、煩悶を抱えながら前へ進みます」と。私は、「どの時代の、どの国でも、深く考える人には、そうしたつらさも付きまとう」と答えましたが…。日本のコーヒーはおいしいなあと味わっていた好奇心の強い留学生が、2年後には生きる苦さも感じられる「知識人」になって帰国したのです。
『哀』、哀しみ。この感情を考えるエネルギーにするのは、難しい。でも、悲しみ、寂しさ、悔しさといった否定的な感情が怒りも伴って考え始めることがあるでしょう。哀しみに止まらず、考えていくことで心休まる部分もある。悲哀を噛みしめていく。少し時間がかかりますがやがて思考の果実が生み出されるかも知れません。消えたと勘違いされる熾火(おきび)のように。
『楽』、楽しみ。この感情は、考える栄養。楽しさは、まっすぐ好奇心につながるから。もし研究者の知的好奇心がなかったら、科学の発展もなかったでしょう。ちなみに大学院を志望する人は、自分が書きたい修士論文のテーマを書類に書く必要があります。私を指導教授に希望する人は、「○○広告についての日中比較」「広告における○○についての一考察」といったテーマが多かったです。でも、「ほんとうに、それに興味があるの?」と聞くと、多くの人は、そしてとくに留学生は、ともかく来日したいがために無理やり論題をこさえましたと告白します。「深い関心があるのは何?」と雑談をします。すると、「実は吸血鬼が好きで」「日本の古着のことを知りたい」「日本のテレビには学園ドラマがよくありましたが、あれが面白い」などと語り出します。「陰陽師のマンガにはまって、日本に来ました」という人もいました。「じゃ、それを論文にすれば?」というと「えっ、良いのですか」と驚くのですね。「きちんとコミュニケーションの問題を捉えた論文になればいいですよ」というと、満面の笑み。みんな、好奇心を原動力に楽しそうにいい論文を書いてくれました。もちろん、浅い関心ではダメ。吸血鬼の女性は、「どの位、ヴァンパイアに興味があるの」と質問すると、「高校時代、学校から帰ると、毎日、ビデオでアメリカなどの吸血鬼ドラマを見ていました」と答えてくれました。そのとき、彼女が着ていたTシャツも、まがまがしいゴシック風のもの。「うぇっ、こりゃ、本物だ」とそれをテーマにすることを許しました。とてもいい論文でした。吸血鬼と伴走する私は、大変でしたが楽しかったです。感情と思考は並び立たないものではありません。感情に流されず、感情を無視せず、感情を手なずけること。それが思考のエネルギー源になります。


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