見出し画像

39 「役割越え」をして考える

いまから4500年以上前、クフ王のピラミッドを造っていたメレルという現場監督官がいました。2013年にパピルスに書かれた日誌が見つかって、彼の名前と仕事ぶりが明らかになったのです。石切場から巨石を運んで、銅山で採掘をしてと、多忙な日々。で、数十年にわたる仕事の中で、何を考えていたのかしら。そう、人は昔も今も役割の中で物事を考えます。メレルも現場監督官として部下をどう動かすかとか、明日は船で紅海を越えなければなどと考えていたはず。

 役割は、その人の考え方を規定します。職種、職業、立場、肩書き、などに影響されていない人などは、まずいません。部長に向かって「入社した若い頃は、そんな風に考えなかったですよね」などと、くってかかっても、ほとんど効果は期待できないでしょう。ポストは考え方までを支配します。良く言えば、役割を考慮して考えることは、責任を自覚しているから。

 でも、役割にどっぷり浸かって、それ以外の思考が消えてしまうのは、もっと困ります。例えば、テレビ局で働いていると、これだけインターネットが伸びていても、マスメディアの力には特別なものがあるという固定観念を捨てきれません。「視聴者の動向を見れば、ネットをしている時間は増えていますが、テレビの力はまだ健在」といった語り口になるでしょう。
 公務員には「国民は…こう思っているはずだ」といった言い方をする人が多いですよね。スーパーに勤める人なら「最近の消費者は…」と語り始めます。教員だと「いまの児童は…いまの保護者たちは…」となります。雑誌社の人は「読者が本離れをしているから…」と話すでしょう。
 いずれも、同じ人々を見ています。それなのに、身を置く業界によって―役割が異なることで―対象の呼び名まで変わってしまう。当然、その先の考え方も違ってきます。逆に言うと、同じ役割の人たちは、似たような考え方を超えられない。
 過去の踏襲ではなく、独創性を求めるなら、役割にありがちな思考の枠を突破する必要があります。どうすれば良いのか? それは、もうひとりの自分に戻ってみること。「素の自分」で、広く思いを馳せることでしょう。
 テレビ局で働く人も、家に帰ればひとりのインターネットユーザー。時には、テレビを見るより検索で忙しいかも。そんなときに感じていることを思い出してみたい。公務員も、家ではひとりの納税者であり、国民。その目線から見れば、役所仕事の改善点は見えてくる。スーパーの店長は、料理好きで、休日になると食材を探してあちこち歩き回っています。ところが、自分が探している食材は、自分の店に置いてなかったりして。机上で、商圏に住む客層の可処分所得だけを見て仕入れをしていると商売のチャンスを逃します。あるいは、学校の三者面談はなるべく簡単にすまそうとしている教員がいたとして…でも、自分の子供の学校のことでは深刻に悩んでいたりする。雑誌社の人は、自分自身、家にいるとき、雑誌を読むよりも、音楽を流しながらネットをしている。なぜ音楽なのか、なぜネットへ向かうのか? 雑誌社の人間として考えるべき素材は、目の前にあるはず。
 「役割を果たす」のは大事。でも、新しいことに取り組みたいのなら、「役割越え」が必要でしょう。4500年前のメレルも、石材のことばかりではなく、自分の役割ではないけれど、労働者のモラールを高めるために食料配分を改善できないかと考えたかも知れない(ちなみに最新研究ではピラミッドの労働者は1日2000カロリーのパンと、数日に1度の羊・山羊・牛の肉を与えられており、ビールも飲めたとか。そう悪くないようです)。あるいは、メレルは、時々、遠い空を眺めて未来の人はピラミッドを見て、何を思うのかなあと、「素の人間」として想像していたかも知れません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?