凡庸日記(2022/08/11)

なぜか今日は朝起きてすぐに、こんな世の中はおかしいと思い、昨今の時事に関するツイートをしてしまった。そう、してしまった。本当に思ったことだし、別に悪いことではないと思うのだけど、いま思い返すと、自分の思いとずれている気がして、おそらく明日にはもっとずれている気がして、強いメッセージを含むツイートをしたあと特有のモヤモヤ感を、たったいま味わっているところです。本当はこんな感覚とは無縁で生きていきたい。皆もそうだと思う。だから皆もそれぞれに考えていることはあっても、それをいちいち表明したりはしないにちがいない。でも、例の事件があってから、僕の頭のどこかにずっと、“暴力”の二文字がチラついていて、なにか吐き出したくて堪らない気持ちに、知らずしらずのうちになっていたみたい。

暴力のこと。暴力はいまの世の中では御法度とされている。教師が生徒を殴れば、理由があっても問題になる(だから今の御時世、「俺はこれからお前らを殴る!」なんて、教師が口にして生徒を殴るなんて青春ドラマはありえない)ことは勿論、父親が息子や娘を殴るなんてことも、なくはないにしても、その頻度はグッと減ったのではないか(自分の身の回りを見ての感覚です)。話は飛んで2015年、国会前抗議を主導したSEALDsは非暴力を掲げて、警察官と不必要に揉めごとを起こす中核や革マルと、自分たちの運動を切り離していた。徹底して衝突を避けるその姿勢が軟弱だとして、奥田愛基は東浩紀と鼎談した際につめられたりもした(すこし前までYouTubeにあったのだけど、いまは確認できない。東浩紀の発言の趣旨は、SEALDsを学生のお遊びだとして、大学の知識人が安心して応援できるような運動ではなく、大人がハラハラするような危険さを内包した運動をすべきだ、というようなことだったと記憶している)。SEALDsの非暴力の運動は大きな唸りとなり、市民連合を生み、選挙でも一定の成果を上げた。しかし、安倍晋三をその権力の座から引きずり下ろすことはできなかった。SEALDsだけじゃない、誰にもできなかった。それを成し遂げたのは例の体調不良、つまり自爆だった。総理大臣を辞めてもしかし、安倍晋三は権力者であり続けた。最大派閥の長として党内に睨みを効かせた。首相在任時から数々の疑惑が渦巻いていた安倍氏は、総理大臣を辞めた途端に捕まるのではないかという希望的観測もあったが、そうはならなかった。安倍晋三を止めたのは、SEALDsでも検察でもなく暴力だった。そしてその死がキッカケになって、安倍氏の生前には隠されていた事実が次々に明らかになり、久しぶりにマスコミが機能し、世論が動き、当初賛成が多かった安倍氏の国葬も、いまは反対の方が多い。暴力が世の中を変えたのだ。この絶望的な事実を僕たちは真剣に考えなければならない。僕たちの社会はどこをどう間違ったのか、これからどうすればいいのか、根本原因を探り、早急に変えていかない限り、また同じことが起きないとも限らないし、そのとき僕は、暴力を否定できるか自信がない。誰だって、僕だって、ボコボコにされれば、一発くらい殴り返す。

よかったらサポートお願いしやす!