凡庸日記(2022/08/05)

小説を書くとき、どこまで遡って読み直すか? これは人それぞれだと思う。前に作家の人の経験談を聞く機会があり、そこでの話では保坂和志と高橋源一郎は初期の作品では毎回、かなり最初の方から読み直して、それから新しい箇所の創作に入ったという。でも、ある時期からそのやり方は止めてしまったと言っていた。なんで止めたのか、その理由は思い出せない。二人が理由をしゃべったかどうかも定かではない。けれど保坂和志でいえばおそらく、『カンバセーションピース』まではそのやり方をしていたのではないか。あの小説は家の構造が複雑だし、登場人物も多いから、即興でやっているといたるところ間違ってしまいそうだから。もしかしたら、ああいう風に完成度を気遣いながら書くやり方に限界を感じたのかもしれない。完成度を気にする方法論は年老いた作家にはムリがあると思うけれど、保坂さんは年老いても書きたくて、というか小島信夫のような方向に向かいたくて進路を変更したのかもしれない。僕の推測ですが。

さて、僕はといえば、毎回章の初めから読み直し、昨日書いたところまでの文章を修正してから、新規に書き出す。けど、一文一文間違いがないように書くというよりは、まあこんなもんだろうなどうせ直すし、くらいの気持ちでまずは書いてみるようにしている。作家の人の話を聞くと、朝の二時間、一番頭が働く時間に集中して書いて、後の時間は読書だけする、というような話をよく聞くけれど、そういう生活は僕には無理だから(サラリーマンだから難しいということもあるし、自分の性分に合わないということもある)、書ける時に書くしかない。で、書く前には仮眠をとって集中力を高める努力はするけれど(目を閉じてVampire Weekendを聴くことが多い)、基本的にはどんな時間であっても、時間があって書く気があるときにポメラを開いて、小説を書く。誤字脱字はもちろん、文章がよく練られていないことも、書きながらどこかわかっているけれど、そのときはその修正まではできなくて(しなくて)とにかく突き進む。そこは明日の自分が何とかしてくれさ、という他力本願(頼るのは結局自分だから他力ではないんだけど)。これまでこうやってきたし、これからも時間を決めて書くようになることはないと思う。場所はいつも寝床の上。うつ伏せに寝転んで胸の下にクッションをもってきて上体を浮かし、ポメラに向かう(前の家で机が居間にあって、妻が観ているテレビの音を嫌がって寝室で書くようにしていたら、それが習慣になった)。喫茶店でしか書けないという人がいるけれど、僕は絶対に自宅でないと書けない。というか、書いている姿を人に見られたくない。こういう執筆の癖は人それぞれ色々ありそうでそういうものを集めたら面白そう。

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