凡庸日記(2022/08/04)

いま書いている小説が大学院生の話だからか、最近よくその頃のことを思い出す。特に僕と同じ年に研究室に入った男のこと。そいつはよく、なにか面白いことはないかなあ、と言っていた。なにか面白いことはないか、この感覚って僕は78年生まれだけど、そのくらいの世代に共通してあるような気がしている。ブルーハーツが『情熱の薔薇』で「見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう」と歌っているけれど、そんな、一瞬ですべてがひっくり返るような奇跡の瞬間を待ち受けるような気持ち。上記の歌詞はソフトではあるけど、これって言ってしまえば革命を望むということで、とても暴力的なことでもあると思うのだけど。

話は飛んで、前にゲンロンカフェに登壇した際、なぜメイヤスーの『有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論』を翻訳しようと思ったのか、と、東浩紀に問われた千葉雅也は、世界がある瞬間に突然、なんの理由もなく別様に変化しうる(たとえば明日から重力加速度が今の二倍になったりするということ)とするメイヤスーの考えに共感したからだと述べていた。その解放感を今までどこかでずっと求めていて、誰かにそう言って欲しかった(かなりいい加減な要約なので、正確にはゲンロンが販売している動画を購入して確認して欲しい)のだという。千葉雅也の生年月日を確認すると78年の12月生まれで、僕と同年代だ。で、実際78年生まれの世代の人びとがこれまでなにを経験してきたかと考えてみる。オウムの事件があった、阪神大震災があった、東日本大震災と原発事故があった、アメリカがイラクで戦争を起こした、ロシアがウクライナで戦争を起こした、感染症が流行し、この間は暗殺まであった。他にもたくさんあったと思うけど思い出せない。世間をあっといわせる事件ばかりだけど、世界は日本は変わったんだろうか? あんまり変わってないような気がする。相変わらず自民党が与党だし、僕らの世代も、なにか面白いことはないかなあ、と思いつつ、本当には変革を望んではないのかもなと、いまは思う。

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