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くたびれた初老だけど……

今さら自己紹介っていうのもなんですが、今年53歳になった中年というより初老に近くなったオッさんでございます。

「note」では、主に音楽レビューを徒然なるままに載せているわけなんですが、ちゃんと自己紹介を今さらながらですけどしてみたいなぁと思うわけです。

まず、音楽については「歌のない音楽」でだいたい私の遍歴は述べてありますので、ここでは遍歴については語らないでおきましょう。

1.万年筆趣味

音楽以外の面ではいろいろ好きなものがあります。まず一つ目は「万年筆」です。コレクターというわけじゃないんですが結構好きで、高校1年生の時に初めて手にしてから今でもずっと使い続けています。もっともパソコン、ワープロソフトの普及で字を書く機会がめっきりと減ってしまったわけですが、それでも「字を書くことの意義」というものは消滅していないと信じています。

そういう私、そんなに字が上手ではありません。祖父や母(そして母の兄弟たち)が字が上手で、字のことをいろいろ言われているうちにすっかりコンプレックスが出来上がってしまったわけなんですが、それでもこの歳になって思うことは、結果的に字のことをとやかく言われて良かった、ということ。まぁ平均より少し上手なくらいに書ければ、仕事でも何かと便利だったりします。「字を人に見せるのは裸を見せるに等しい」なんて言ってた人がいたんですが、なんかそれ、わかる気がしますね。で、いざ裸に相当する字を見られたときに、「汚いね」「下手だね」と言われない程度であればいいわけですよ。ナイス・バディーとは言えないまでも、人が見てさらりと流せる程度の字だったらいいわけですね。そうしてくれたのは私にとっては万年筆だったわけで、今なお愛用する万年筆が何本かあります。

やっぱりモンブランのマイスターシュティック146とかはド・定番なんでしょうけど(あ、持ってますよ、もちろん)、私が一番使うのは、プラチナの「#3776」シリーズで、ボディーに屋久杉を使ったもの。実はそれ以前にも同じ#3776のものを20年以上使っていたんですが、ついにご臨終となり、新調して今4年目。やっとなじんできたかなぁという感じです。

有名どころのパーカーも、セーラーも、パイロットも、シェーファーもとりあえず使ったことはあるんですけど、私の場合、ペンを持ってちょっと考えていざ書こうとするときに一画めがかすれるのが耐えられないわけです。それが無いのが、実はプラチナが一番なんです。モンブランも割とそうなんですが、太さによってはかすれます。ですので、私にとってのヘビー・デューティーはプラチナの万年筆です。

他に持っているものとしては、ウォーターマン、アウロラなんかもあって、アウロラの書き味はすごい好きです。インクの色も悪くないですね。それ以外に、買ったけどインクを入れていないものもあります。万年筆はインクを入れると価値が半減すると言われているんですけど、別に売るつもりはなくともインクを入れずに新品としてとっておきたいと思っているのが、モンブランの作家シリーズである「エドガー・アラン・ポー」モデル。うん、これはボールペン、シャープペン、万年筆の三本セットで限定でした(世界で何セット限定だったか忘れました)。薄給のころになんちゃらの舞台から飛び降りるようにして買ったものです。

あと、亡き義母が海外から買ってきてくれたモンブランのスターウォーカーも一本持っていて、これは限定じゃないけどインクを入れたことがないままになっています。ちょっとペン先が太すぎるんで、使いようがないんですよ(笑)

語りだすときりがないのでこのあたりにしておきますけど、「字を書く」というのはとても大事なことだと思っていて、上手とか下手とか関係なしに自分で美意識を持って書こうとすることに意味があるんじゃないかって思っています。例えば、ノートに何かをまとめるときにも、後で開いてがっかりしちゃったり、うんざりしちゃったりするような字ではなく、こっぱずかしいけど小ぎれいにまとまっているように書けるのって大事じゃないかなぁと思うわけです。人に手紙を書くという機会もすごく減ってしまったけど、それでもいざ書こうとするときに、100円ボールペンじゃなく、ちゃんとした筆記具で書くのって背筋が伸びるような気がするんですよね。

時代に取り残されつつあるような筆記具ですが、そんな万年筆を私は愛してやまないわけです。

2.バイク乗り

見かけが「真面目くん」っぽいらしいので、オートバイに乗っているっていうとたいていは驚かれます。この驚かれ方がなんか快感なんですね。「意外性あります」、みたいな。

とはいえ、高校を卒業するまでバイクになってまったく関心がなく、オートバイメーカーの名前すらまともに知らなかった私でした。「バイク=暴走族」的な悪いイメージだけを持っていたわけじゃないんですが、オートバイは別世界のもの、という感覚を自分自身が強く持っていたのかもしれませんな。

転機は大学二年生の時にやってきます。大学はとにかくド田舎にあって、鉄道は私鉄が一本通っているだけ。その私鉄がやたらと高い(これだけでわかる人にはわかってしまう)。だからみんな自転車や原付を持つわけです。私も最初は自転車でえっちらおっちらとバイトに出かけていってたわけですが、自転車だとどうにも行動範囲が広がらない。う~ん、なんとかならんものか、しかし赤貧の学生に車は無理だ、なんて思っていた時に、「オマエ、バイク乗らね?」と同期のやつがいうわけですよ。「ハァ?」と思った私なんですが、高速にも乗れるっていうし(実は知らなかった)、なんか遠出できるじゃん、って考えるともう止まらなくなっちゃったわけです。合宿免許で1週間、すぐに中型の免許を取りました(この合宿免許のことでも語りたいことはいっぱいあるけど、今回はパス)。それからは中古のボロいバイクでしたけど、一気に行動範囲が広がってそれはそれは楽しい生活となりました。

大学在学中に限定解除(当時は大型は教習所では取れなかったので、試験場でめっちゃ難しい試験にチャレンジしなくてはならなかった)にもチャレンジしたんですが、13回落ちて一度断念。ホント、マジで受からない県だったんですよね。週1回の試験で、受験者がだいたい70名。合格者はたいていが1名というもの。いやぁ、よく行ってたわ。その二年後、東京に出て時間ができた時に受験したら2回で合格。なんだったんだ、あの不合格の日々は……。かくして大型乗りとなった私ですが、その2年後に大型が教習所で取れるようになるという事実に愕然。理由はハーレーを売りたいアメリカからの外圧に屈したんだとかなんだとか……。ふざけんな。

とはいえ、その後結婚を機に一度バイクを降ります。お金が無くてねぇ、妻を悲しませられないじゃないですか。その後バイクに復活するには15年を要します。

15年後、少し経済的にも落ち着いたので、XJR1300という憧れのバイク(中古)でめでたく復活! その後ドゥカティのバイクを2台乗り継いで現在に至るわけです。

もうロングツーリングもしないし、サーキットを走ったりするわけでもないんですけど、バイクって好きですね。バイクに乗る理由っていうのはいくつかあるわけなんですが、私の場合1つ大きなものがあるんですよ。

幼いころからプチ優等生的な扱いをずっとされてきて、それがずっと窮屈だったんです。そこそこ学業成績も良かったし、外見も真面目くんって感じだし、小学校では生徒会長、中学でもやりたくもないのに委員長に必ずさせられる、そんな存在。だから、他の男子が平気でオナラしても笑ってすまされるところを、私がオナラすると「……え? オナラなんかするの?」みたいに一気に空気が張りつめるような、そんな感じになってしまう。勝手に植え付けられたイメージってホントつらい。それがずっと続いたんです。一番は親からの圧力だったかなぁ。最近他界した母なんかは、ある意味教育虐待って言われても仕方がないくらいのプレッシャーをかけてきたわけで、それに応えなくてはならないという中で自分を委縮させる日々だったわけです。自然体に生きられない息苦しさって、わかる人にしかわかんないですよね。

そんな自分を解放してくれたのが、バイク。バイクに乗っている間は誰とも話さないし、自然体でいられる。この時間がとっても貴重。おいしいものを食べに行くわけでなし、美しい景色を見に行くわけでなし、誰かに会いにいくわけでなし……。とにかくただ走るだけ。でもその時間は誰にも邪魔されないわけで、自分にとってはかけがえのない時間なんですよ。だから今じゃほとんど誰かと走ることはしない。基本、ボッチ。そのボッチがいいんだなぁ。だからしばらくはこの趣味、終わらないね。

3.映画・演劇が好き

映画や演劇が好きです。とはいっても全然詳しくないです。俳優名、監督名、さっぱり知りません。マニアックな知識は一切ないです。でも見るのは好き、それだけ。

きっかけは何だったかなぁ。初めて見た洋画が『ジョーズ』で、小学生のころでした。でもこれは自分にとっての一つの大きな事件だったんでしょうね。

大学進学の際、当初は理系を希望していたけど、部活にかまけて数学や物理がさっぱりダメだったんで、3年の時に文系に転じたんですが、得意だったのは歴史。だから史学科に行こうと思ってました。3年の11月上旬までずっと史学科が第一志望でした。日本の古代史が好きでね、「邪馬台国論争やってやるんだ!」なんてアホなこと言ってましたわ。

それが11月上旬に受けた模試の現代文の問題文を読んで、なぜか感動してしまい、単純な私は文学部文学科へと舵を切ってしまうわけです。いやぁ、無謀極まりない。今タイムスリップして当時の自分を見つけたら、絶対にやめろと言っただろうなぁ(まぁ史学科の志望もやめさせたとおもうけど……)。フランス文学専門の人が書いた文章だったんで、自分もフランス文学科に行くんだ!と思ってはみたものの、なんだかんだいって結局進んだのは英文科という最悪の結果に。何が最悪かって、英語好きじゃなかったから。じゃぁなんで英文科受けた?と言われそうだけど、願書を書き間違ってしまって、英文科で受けたのはそこだけだったのに、合格したのもそこだけだったっていうオチです。はぁ~、ホントため息しか出ない。

だけどちょっとポジティブなところもあって、入学後に出会った英詩がご専門の先生の言葉に励まされ、私は英詩を勉強するんだぁ!と思いながら学生生活を送ります。ところが、ゼミを決める段階になって、英詩の先生が在外研究に行かれることがわかって、代わりに来る先生は小説やるっていうし、いきなり出鼻をくじかれた状態。ゼミをもう一つ取らなくちゃいけなくて、そっちは別な学問にしようと思ってたら、希望者多数で抽選になり、見事ハズれ。残っていたゼミはキツいのばっか。その中の一つがアメリカ文学だったわけです。私、アメリカ文学ってまったく興味なくて、ホントにテンション低かったんですが、そのゼミの先生がやっていたのが現代アメリカ演劇。「ん? 演劇?」って思われるかもしれないですけど、ヨーロッパとかアメリカって、戯曲も立派な文学として成立するんで、その戯曲をやるゼミだったわけです。そうなると当然舞台上の視覚芸術としての側面もあるわけで、それを機に演劇を意識してみるようになったわけです。

結局それが私の卒論にまで関わることになり、その後いろいろあってもう一度学び直した際の論文でも結局アメリカ演劇をやっちゃいました。ブロードウェイにも見に行ったし、日本に来たロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの芝居も観ました(RSCはちょくちょく来てますけど、「1軍」メンバーが来ることはそうそうないので、その1軍の芝居を見たことを指します)。太陽劇団の『堤防の上の鼓手』も見に行きました。

同時に映画もなんだかんだ見るようになって、映画館というよりレンタルビデオ屋にお世話になってたわけですけど、結構文芸ものを中心に見てましたね。アクションには興味ないし、ジョーズみたいなパニックものも見ず、どちらかというとわりと静かな映画を好んでますね。

時々、ちょっとした映画関係の仕事というか、物書きをさせてもらったことがあって、映画好きの知人から「映画マニア」みたいなありがたくない称号をつけられたりして、ちょっと怒ったことがあります。そしたらその知人、「マニアじゃなきゃ映画の論評なんかできないでしょ」というわけです。私に言わせれば、文学部を出てれば客観的に分析できて当たり前なわけで、できなきゃ文学部なんか出た意味ないわけです。そういう知人も映画大好きの文学部出身なんですが、私がそういうとバツが悪そうな顔してました(笑)主観でものをいうなら誰でもできるし、ネットのコメント欄なんか主観の垂れ流しでしょ。知識のひけらかしは分析とは違うわけで(知らないより知っていた方がいいわけだけど)、数見てればいいわけじゃないんですよね。例えば、映画の『霧島、部活やめるってよ』を見て、そのベースになった演劇作品がすぐわかって、それをもとに分析ができないと意味がないわけです。それがちょっとだけでもできるようになれたのは、文学部に行った意味があるのかなぁなんて思ったりしてます。

とはいえ、それで飯を食うつもりはないし(事実食ってないし)、好きで見てればいいわけで、そういう意味ではまぁ見てる方なのかな。見ていればまぁだんだん面白さもわかるようになるわけで、そんなに頻繁に見てはいないけど一つの趣味みたいなもんになってます。ちなみに妻の方が映画も演劇も詳しいわけですけど、夫婦で話ができるのもいいことだなぁって思ってます。

4.要は遊び人?

どの趣味も全力投球してるわけじゃないし、仕事が忙しいと結局は趣味に打ち込む時間もないわけでして、今じゃすっかりどれもこれもさび付いてますけど、まぁそこそこ、ボチボチ楽しむときは楽しむ、みたいな感じでやってます。あんまり趣味があるとただの遊び人みたいになっちゃうわけでして、そうならないようにとは思いながらもしっかり遊び人やってるのかな。ただ私はまったくお酒を飲まない(飲めない)人なもんで、酒代がかからない分、ちょっと趣味に回せるっていうメリットはあるのかな。

なんかすごい長くなってしまった……。このオッさん、こういう人間なんですよ。それをベースに、「私的推薦盤」なんて書いてるわけです。

以後、お見知りおきを。

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