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花のかげ~終章(3)

三.Web面会

 大学病院に入院したのが十一月九日、そして転院したのが十一月十九日。しかしその後何日経っても私の頭からは母の横を向いたままの姿が離れなくなっていた。
 家の生活のサイクルは日常に近いものに戻ってきていたが、私と妻の間で交わされることと言えば母のことが半分以上を占めていた。妻も母のことをとても気にかけてくれていて、自分の母親が肺炎で急逝したこともあってか親の介護に関してはいろいろ思うところがあったのだろう。それが母のことをここまでよくみてくれた原動力の一つであったことは間違いないのではないか。しかし持ち前の優しさが私のことを気遣うと同時に母に対しても気遣いが言葉となって表れていた。
 一方、Web面会に関しては、すぐにでもやろうかと思ってはいたものの、たまりにたまった仕事を片づけなければいけない毎日で少し間があくことになった。しかしいつまでも放置するわけにもいかないので、とりあえず予約を入れることにした。
 Web面会はスカイプを使って行われるわけだが、看護師かヘルパーがタブレットを持って面会をサポートしてくれるのである。新しい病院にしてよかったとこれほど思ったことはない。
 最初の面会の時は、母はベッドに横になった状態だった。かろうじて話ができる状態ではあったのだが、時折口を大きく開けてあくびをし、後半は眠ってしまった。ただ、
「息子さんたちですよ」
と言われて、
「感謝あるのみです」
という言葉が母から発せられた。その前には「寂しい、帰りたい」と言っていたようであるが、面会の際にはそういう言葉は出てこなかった。
 一度の面会時間が五分というものだったが、それでも十分くらいは話せただろうか。切りのいいところで看護師が面会を打ち切ることになるわけである。
 そんな感じで面会を繰り返していった。二度目の時は、ちょうど姉がその直前に面会をしたようで、その時はリクライニングチェアーに座った状態のまま私の面会に入った。やはり右を向いたままだったので、なかなか画面の方を向いてくれない。しかもこの時は少し機嫌が悪かったのだろうか、あまり受け答えは芳しくなかった。
 母は私の息子のことをとても可愛がっていたし、受験勉強を頑張っている姿をいつも応援していた。そして二学期の成績が受験に大きく関わるということで息子は必死になって頑張って成績を上げた。そのことを母に言えば喜ぶかと思い、
「成績が上がったんだよ」
というと、
「上がったって……、ちょっとだけでしょ」
といって終わりになってしまった。その面会は息子も画面を見ていたので、心中複雑だったであろう。もはやWeb面会ですら息子に見せるべきではなくなってきていた。
 十二月五日、ふくやま病院の立川医師から電話があった。
「超音波で検査をしたところ、脚に血栓がたくさんできていることがわかりました。これが肺に飛んでしまうと、肺血栓を起こしてしまい非常にまずいことになります。では血液をサラサラにする薬を入れればいいかということになるんですが、これもまた問題があって、脳で大出血を起こしてしまう可能性があるんです。大学病院でもそのあたりのことを考えて、血液をサラサラにする薬は入れていなかったようなんです。今後どうするかはご家族の判断ということになります」
と告げられた。
 脚に血栓ということになれば、リハビリも難しい。リハビリを担当する職員に精神的負担をかけることはできない。万が一リハビリで血栓が動いて肺血栓にでもなってしまったら、リハビリ担当職員は自分を責めてしまう。血栓を溶かすための薬を入れるにしても脳内で大出血を起こす危険性があるとなれば、脳の病気で治療を続けてきたのに脳内の出血が原因で死に至るというのはこれもまた割り切れない思いである。
 難しい決断となった。まさに「前門の虎後門の狼」である。
 結果としてリハビリは血流を維持するための最低限のものにとどめ、血液をサラサラにする薬は入れない方向でお願いすることになった。今後こういう決断を迫られることが増えてくるのかもしれない。なんともやるせない思いにとらわれることとなった。
 そのことは姉にも母の兄弟たちにも伝えた。全員が厳しい判断だったことを理解してくれたのかどうかはわからない。ただ叔父の奥さんだけがそれを理解してくれていたことはわかった。彼女からのメールに私は救われることになった。

――今出来ることは、お義姉さん(母のこと)には出来るだけ苦痛のない状態で過ごして頂くことが最優先なのかもしれませんね。どの道を選択するか、悩まれたことでしょうが、皆納得していると思います。まだお義姉さんと電話でやり取り出来てた頃にお義姉さんが言った言葉をお伝えしますね。「こちらに来て本当に良かった。今が一番幸せです。家族皆揃って食卓を囲むことがこんなに楽しく幸せなのかと感じられて……」と嬉しそうに話してくれました。そちらで幸せな時間を過ごしお義姉さんとしては大満足な日々の延長線上に今もいるのかもしれません。――

 妻以外に身内にこういう言葉をかけてもらえたのは初めてのことで、私は不覚にも落涙しそうになり、それをこらえるのに必死になった。
 その日は姉とのメールの交換も何度かあって、中には正直不愉快なものもあったのだが、徹底的にやりあうのはばかばかしくなって途中で打ち切った。こういうことでのそれぞれ思いは交錯しても混ざり合うことはないのだから……。


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