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つぶやき+ 思考の広がりと狭まりについて

大学院生の頃の話。
教授が友人のA5サイズ程度のエスキス帳に対して「君の建築を考えるスケールはそんなものかね」と言っているのを聞いて、当時はなんのこっちゃと思ったけど、今は少しわかる気がする。

ノートにはA4サイズだったりA3サイズだったりと、思考の切れ目が物理的に発生する。

タブレットは一見、無限にまっさらな紙がひろがっているように見えるけど、タブレットのディスプレイサイズ自体に限界があるから、あまり多く広く書きすぎると図や文字が小さくなりすぎてしまい、俯瞰して見ようにも何が書いてあるのかわからない。拡大縮小の動作をしている間に何を考えていたのか忘れてしまう。

今まで一番良いと思ったエスキス方法は、まずはA4なりA3なりのメモパッドに好きなように書き始めて、足りなくなったら紙をドラテで足していく。この方法ならレイアウトを気にせず思考を忘れないうちにどんどん吐き出していける。出し切って二次元じゃ無理だなと思えば模型を作ったりしながら思考方法を変えていく。(そういうわけで、設計事務所のオフィスは思考の広がりに比例した二次元的広がりが重要だと私は思う。時代と逆行。)

エスキスだけでなく、調べ物やエンタメを楽しむときも、スマホで楽しむ時と映画館で楽しむ時とでは思考や精神状態がだいぶ変わるような気がする。

スマホや携帯ゲーム機のような小さな画面を使っている時は、小さな画像や文字を読み取るために脳が相当な集中力を使っていると感じるし、その「過集中」状態になってしまうと本来の目的を忘れて操作をすることにただただ没頭してしまうことがあるし、結局頭はすっきりしないことのほうが多い。

頭がすっきりしない理由は、詰まるところ、自分の目と体で確かめない限りすっきりしないのが人間だからだと思う。

インターネットやテレビで流れている事柄が現実であるかどうかなんて当事者以外誰にも証明できない。芸能人だって自分の生活圏に存在しなければこの世に存在しないのも同然です。(だからこそ生のライブやショーが超超大事なのです)

あらゆる世界の情報を個人で受け止め処理するには限界があるし、脳内処理したところで、良い現実も悪い現実も襲いかかってくることには変わらない。謙虚に、限られた時間と条件の中で、生きている間に自分の目で確かめたいこと、経験したいことに集中したい。

…というわけで、マラソンの大迫傑選手のケニア長期合宿エピソードに感化されて久々に書きました。

下半期の目標は「あたまでっかちにならない、行動する」!

では〜。


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