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死後に寄り添う蝋の翼        ー渚のイカロスー

観たり読んだりする作品、ひとつひとつは何の繋がりもないそれらに共通のテーマを見出すようになる時期がある。面白い偶然もあるものだと思っていたが或いは偶然ではなく、特定の作品で提示されたテーマが心に残ったとき他の作品においてもそのテーマを無意識に探してしまう、ということかもしれない。さてその真実はともかくとして、一時期自分が感じるテーマとして"死後のストーリー"が流行っていたことがあった。"死後のストーリー"とはつまり、特定の人物が亡くなったことを中心に展開される物語構造のことだ。亡くなった人物そのひとの思いを描くものから、周囲の反応がメインのものまで様々なタイプがある。当時自分が観たり読んだりした作品には、トリックよりも被害者の死によって動き出す人間関係に重きを置いたミステリー小説や、主人公たちがおくった日々が臨死体験であったと終盤で明かされる青春アニメなどがあった。これらの作品を受けて思い出されるのは「渚のイカロス」である。本作は"死後のストーリー"がテーマとして自分の中で流行る前に観たアニメであるが、新たな観点のもと反芻することで理解が深められたように思うので、その記録も兼ねて記事を書いてみることにする。


TVアニメ「渚のイカロス」

「渚のイカロス」は2021年冬クールに、全13話で放送されたオリジナルアニメ作品だ。オリジナルアニメということで話題性に関しては原作付き作品ほどではなかったものの、放送開始後はガールミーツガールな物語とダウナーな空気感が一定の評価を得た。
物語は、都市部の学校から海辺の田舎町に転校してきた少女 望月ひまり が、堤防に一人佇む少女を見つけることで始まる。

虚ろな表情で空を見上げる彼女の頭上には光輪が鈍く輝いており、背中には大きな翼がどこか頼りないようすで伸びていた。

「渚のイカロス」公式サイト あらすじより

話しかけても微笑み返すだけで返事をしない彼女にひまりは"天使"と名付け、彼女の正体を探り始める。慣れない人間関係に苦労しながらも情報を集めていくひまりが知ったのは、自分が転校してくるしばらく前に自殺した少女の存在だった、というのがおおまかな導入である。
本作のジャンルを極端に単純化してしまうと、ミステリーということになるだろう。天使の死の真実が徐々に明かされていくストーリー運びはまさに、続きが気になるタイプの物語形式である。海辺の田舎町に天使の風貌は新鮮だが、自殺という題材はショッキングさを担保するにはややありきたりか。視聴当時の自分の感想はそんなところであった。この通り当時はそこまで強くハマった訳でもない作品だった。さてここからは、前述の"死後のストーリー"が自分の中で流行り、反芻を経たうえで思い起こした本作の特徴を挙げていく。

会話の特殊性

まず気付いたのは会話形式の特殊性である。本作は基本的に、ひまりと誰かという一対一での会話シーンを軸にストーリーが進んでいく。これに関してはひまりが転校直後で友人知人がいないことが大きいだろう。見知らぬ少女の死の謎を追う主人公と、彼女と一対一で会話する人々。ドキュメンタリーにおけるインタビューをも思わせるこれらのシーンの奇妙さは、ダウナーな空気感の醸成にも一役買っている。
また、天使が台詞らしい台詞を喋らない点も注目すべきだ。死後である現在はともかくとして、生前を回想するシーンにおいても彼女の会話は描写されない。これらは彼女の台詞によってその人となりを想像させないためにあるのではないだろうか。作中でのひまりの、天使の生前を捉えられないもどかしさに共感するための仕掛けである。

季節の扱い

本作における季節は10話までの夏~初秋と、11話以降の晩秋~冬に分けられる。アニメ作品においてその背景となる季節がキャラクターの心情を表すことは多く、本作も例外ではないが、本作の季節の扱い方はなかなかテクニカルだ。
たとえば1話 ひまりが天使と出会うシーンでは、照り付ける太陽とうるさいくらいの波の音の中で、ただひとり涼しげな天使が象徴的に描写される。夏をイベントが起こる季節として肯定的に扱う作品は多いが、この作品にとって夏は天使の孤独を強調するための基盤であるように思う。2話 天使と自殺した少女が情報として結びつくシーンにおいても、夏空に浮かぶ雲を火葬場の煙突にたなびく煙に見せる演出があり、これも見事だった。
また、11話以降の季節感も今思えばかなり特徴的である。11話以降は天使が姿を消した後、ひまりが自身と向き合う描写が続く。かつて孤独に描かれた天使と呼応するかのごとく孤独に描かれるひまり。注目すべきは、天使の過去を知るだけで何もできなかったひまりの、その悩みから立ち直るまでを冬として描き切っている点である。冬が孤独や悩みの比喩として扱われるのは一般的だが、それらからの復活までを冬に担わせているのは珍しい。これは彼女の復活が必ずしも明るさを伴うものでなく切なさを帯びているからだろう。

タイトル回収

真のタイトル回収とは、本編にタイトルの文言が登場することではなく作品の核を文字で以て表現することである、という持論がある。キャラクターに言わせるため安易に設定されたタイトルよりも、本編に登場しない語句で主張をまとめたタイトルのほうが圧倒的に美しい。その点でいえば、「渚のイカロス」は美しいタイトルだと言える。
"渚"は舞台が海辺なので順当な添え字として、気になるのは"イカロス"である。本編に"イカロス"の語は登場しない。"渚"と併せて考えれば翼をもった天使を比喩したものと捉えられるが、ギリシャ神話イカロスの翼の伝説を考慮すれば、寧ろイカロスはひまりのことである。太陽に近付き翼を溶かしたイカロスのごとく、ひまりは天使の死の真実に近付き己の無力さを悟る。しかしイカロスの翼の伝説が象徴するのは無謀や傲慢ともうひとつ、それでも挑もうとする勇気である。一度は己の無力さに打ちひしがれながらも、その無力さを携えて再び歩き出したひまりの、心持ちの気高さを"イカロス"で以て表しているのだ。

終わりに

本作「渚のイカロス」は放送当時一定の評価を得ていたものの、やはりそれは雰囲気アニメとしてであったように思う。かくいう自分も、そのような印象であった。しかし、"死後のストーリー"という観点から改めて作品と向き合うことで新たな気付きがあった。本作が描くのは、主人公が華麗に他人を救うストーリーへのアンチテーゼである。作中でひまりは、既に死んだ少女を相手取り、彼女の仄暗い過去をただ知るのみであった。人は他人を救えず、責任を持てるのは自分の人生だけ。冷徹にも思える主張だが、しかしラストのひまりには無力さを自覚してなお自身の行動を後悔しない強さがあった。人は他人を救えないが、それは寄り添うことを否定しない。例えそれが真の翼でなく蝋の翼だったとしても、天使の孤独を癒すためにはなるはずだ。


※この記事は架空の作品に対して書かれたものです。TVアニメ「渚のイカロス」は実際には存在しません。

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