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LivingAnywhereって。

LivingAnywhereって何か?っていうと、「都市集住問題の解決(場所の制約からの解放でいう場所=都市集住)」が主軸と思っている。
幹な部分。いきなり結論めいているけど。

例えば今回の「コロナ」。
これを考えてみると「コロナのこの騒動って、都市集住が原因のひとつとなって発生する問題を誰でもわかるように浮かび上がらせたという話だよね」ってことで、LivingAnywhereの世界観からすれば「だから言わんこっちゃない」って話なんだと思う。緊急事態宣言にしても結局は人が密集しているエリアだからこそ生じてる問題=都市集住してパツンパツンになっているのが騒動の一因で、要するにコロナ禍だとかwithコロナだとかafterコロナだとか、なんちゃらコロナっていうのはLivingAnywhereの世界観には直接の関係がないと思ったりする。

「自分らしくを、もっと自由に」
一方、一般社団法人LivingAnywhereがスローガンに掲げている「自分らしくを、もっと自由に」。

これって一体どう言うことなんだろう?
ちょいと考えてみると、これは多分「人生は自由でもっと多様性があるべきだからLivingAnywhereっていいよね」というニュアンスの表現なんだと思う。

ここでは最近よく耳にすることの多い「自由」だとか「多様性」だとか「置かれている立場の窮屈さ」なんかを具体的に表現したいのではなく、あくまでも考えていくことは「都市集住を解消していこうという生き方」と捉えると、この「生き方」が第三者からすれば「(あの人は)自分らしく(を、もっと)自由に(生きてるよね)」と見える<かもしれない>のであって、自らの口で「自分らしくを、もっと自由に生きています!」と言うものでもないようにも感じている。
「そんなに声高に叫ばなくても大丈夫だよ、自分らしくていいね、って思ってますよ」という具合に。

要するに「自由さ」や「多様性」っていう話は都市集住の問題と向き合い、問答し、解決を進めていくその中に「あるかもしれない程度の話」で、少なくともLivingAnywhereの見据える本題は頑として「都市集住の解消」であって、その問題の解決に向けて動けば動くほど出てくる(しかもキラキラと目立ちながら)のが「自由さ」や「多様性」ってところなんだけれど、これは「あくまで副産物的なもの」としっかり位置づけておかないと軸の部分からズレていってしまうような気がする。

とくに「自分らしくを、もっと自由に」が音の響きとしてもよく、解釈の広がりも感じられるので、なおさらそもそもの軸の部分を大事にしていきたいなと思う。

それがLivingAnywhereかなと。

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