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ハンバーガーを思う夜、そしてこれから

ある夜、ハンバーガーに自らの食指が動かない理由を考えねておかねばなるまいとの衝動に駆られた。結論は、思いのほか早々に出た。完食に至るまでのひと口の回数が極度に少ないのだ。食事の満足度は箸を口に運んだ回数に比例する。そもそも摂食にあたり箸を必要としないハンバーガーに、出る幕などないのであった。その晩はすぐに寝たと思う。

また何日かが経った夜、ハンバーガーがポテトフライとともに供されることに関して、疑義を呈する向きが少なすぎるのではないかと考えることがあった。同じく炭水化物と炭水化物の組み合わせであるお好み焼き定食、焼きそば定食があれほど槍玉に挙げられるのは、あまりにも気の毒ではないか。かたやうどん、そばが定食の体裁をなすとき、かたわらには必ずと言っていいほど丼物が鎮座する。このデファクトスタンダードに照らしても、お好み焼き定食や焼きそば定食は不当な扱いを受けているように思えてならない。かといって、お好み焼き定食、焼きそば定食を礼賛できるに足る炭水化物信仰はない。より端的にいえば、お好み焼き定食、焼きそば定食がメニューにあっても、それを注文する頭がない。結局のところ、誰の肩を持ちたいのか判然としないまま、その晩もすぐに寝たと思う。

振り返ってみれば、最後にハンバーガーを食べたのは今年の春先だった。要は年に一度、食べるか食べないかというレベルである。その夜は友人と京橋に飲みに出かけたのだが、目当ての店はユーチューバーらしきが撮影に精を出していたのでスルー。別の店を数件ハシゴしてリベンジを果たし、普段は〆ないはずがうどんをすすり、ダメ押しとばかりマクドナルドに飛び込んで、もっとも廉価と思われる何かしらのハンバーガーを2つ購入、一方を彼のカバンにねじ込んで別れたのだった。その晩も帰りの電車ですぐに寝たと思う。「と思う」ではないですね、実際に熟睡して目が覚めたときには、僕の体は冷えきったハンバーガーとともに終電間近の神戸市内にあったのである。

と、ここで「もっとも廉価と思われる何かしらのハンバーガー」という言い回しがやけにいやらしいことに気がつく。ただ、実際に2023年時点におけるマクドナルドの料金体系はまったく頭になく、物価高も念頭に置けば純粋なハンバーガーが最安値と言い切れる自信がないのは事実なのである。

似通った現象はコンビニにおいても立ち現れる。僕は日頃、コンビニを利用することは滅多にないのだが、この2、3ヶ月は転居間もないこともあって光熱費の支払いのため、何度か店を訪ねることがあった。スマホ決済ができないことくらいは分かっているので、店員に現金を手渡そうとする。ややあって、手元の自動精算機に目がいく――利用頻度から考えて、コンビニでの現金払いという局面においては一生涯、同様のエラーを繰り返すのだろうと確信する瞬間だった。その晩もすぐに寝たと思う。

いよいよもって、人としてアップデートが果たされていないことがあぶり出され、逆張りのそしりをまぬがれない人格が固定化しつつある今日このごろではあるけれど、この半年ほどの間に結婚することになった。「できることになった」とするべきだろうか。ともあれ先日、初めて婚姻届というものに触れたのだが、区オリジナルのそれにデザイナーの名前が入っているのには喫驚した。そんなん、証人の1人に数えてもええんちゃうか。さておき、届出の日取りは決まっていない。いっそ誰か適当な日付を決めてほしい。今晩もすぐに寝ると思う。

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