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神学生による随筆〜新しい生活様式に向けての模索 ―祈りにおける身体の必要性―



コンベンツアル会P神学生


新型コロナの蔓延により未だ教会活動に影響が出ている今日この頃ですが、如何お過ごしでしょうか。関町修学院では、三密や消毒や換気などの対策を行いつつ兄弟的な共同生活を継続しております。

哲学と神学の勉強を大学で行う神学生は、昨年度は殆どオンライン授業に移行した為に、様々な変化に対応せざるを得ませんでした。確かに、授業全般はICT技術の便利さに助けられた面も多々ありますが、やはり部屋にこもりがちになるという側面から、運動不足という弊害が生じ、気分が滅入り、霊的に荒みやすい状態であったことは確かであるといえます。

ですので、霊的な事柄を知的にも実践的にも探求することは信仰生活にとって重要ではありますが、身体的な事柄もまた信仰生活において重要な要素であるのは確かであるように思えます。祈りにおける身体の重要性は、例えば、東洋思想における心身一如という考え方にもあるように、ヨーガや瞑想の実践といった形に見ることができるように思います。
 
また、故奥村一郎神父も、「祈りは心でするものであるとしても、心だけでするものではない」(奥村一郎『祈り』、女子パウロ会、p.73参照)と述べているように、祈りにおける身体性という具体的構成要素の重要性は、キリスト教的信仰生活からも欠かせないものであることが窺えます。
 
それ故に、いくらオンライン化によって便利になり、一層、知的探求にのめり込めるとしても、身体性を蔑ろにしてしまっては、それは霊的にも身体的にも不健全であるのです。ですので、私が経験したオンライン授業の方式は、確かに便利な側面があるものの、身体的な要素が見えなくなる点で、霊的生活にとって少々危険なものであったことは否めません。
 
しかしながら、新型コロナの影響によって、従来の活動が変わらざるを得なかったのも事実です。そして、これからも生活様式が更に変化が必要であるという状況は間違いありません。

先程は、神学生の生活の変化について触れましたが、今後、司祭や修道者として各支部に派遣されるということを考えると、ますます、この問題と葛藤に向き合わなければならないといえます。例えば、毎日のミサを動画配信することは、何らかの事情で毎日ミサに来ることができない方々にとって有益です。ですが、やはりオンラインでは、「現存するキリストと出会い交わること」や「キリストの体である人々と出会い交わること」を、現実的に経験することは難しいように思います。観念や概念上では可能かもしれません。ですが、実際にキリストの人格と出会い、彼のあたたかさに触れ、癒しを感じ、愛の喜びに歓喜し、他者とその喜びを分かち合うという経験は、やはりオンラインで経験することは困難なように思います。何故なら、こうした経験には、やはり身体性が関わっているのですから。
 
ですので、今後の教会活動を一律的にオンライン化することには慎重にならなくてはなりません。そして特に、祈りの要素としての身体性を、如何に司牧の現場で大切にしてゆくことができるのかが、今後の教会生活における課題であるように思います。その具体的な方法やあり方について、現段階では妙案はありませんが、さまざまに思いめぐらす中で、聖霊の促しに従って、何が神のみ旨に沿うものなのかを識別してゆけたらと思います。


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