コルベ神父『母への手紙』01 ー1912年10月28日ローマ留学(18歳)
聖コルベ神父が18歳から死の直前まで母マリア・ドンブロスカへ綴った手紙。聖母の騎士社刊『母への手紙』より
1912年(大正元年)から1917年(大正6年)まで
18歳から23歳までのプロフィール
●18歳-ローマ・グレゴリアン大学へ留学
●20歳-父・ユリオ・コルベがロシア軍から殺害される。享年43歳
●21歳-グレゴリアン大学より哲学博士号を受ける●23歳-同士六人で聖母の騎士信心会を創立
愛するお母さま
お母さまがこちらへ来て下さったとき、ルヴォフの5名の神学生と、それにクラクフの2名の神学生が外国に留学するというお話をしたのを覚えていらっしゃいますか。その出発のときがやって参りました。ペレグリノ・ハクツェラ管区長さまから命令書が届いたのです。
もちろん7名とも出発しますが、まず、わたしたちルヴォフの神学生が出発します。クラクフの神学生たちは、神学の勉強のプログラムを多少調整しなければならないので遅れるのです。
私自身は哲学の研究のためにローマに向かいます。ローマでは、グレゴリアン大学に通うことになるでしょう。
出発に先立って、同級生たちは、それぞれ数日間故郷に帰りましたが、私はこちらに残りました。なぜって、お父さまがこちらに来ていらっしゃるし、お母さまとは休暇の終わりにお会いできたからです。同級生たちは、ほとんど三年間も故郷に帰ったことがないのです。私は残る代わりに、二日間だけ、お父さまと自由にどこへでも行っていいし、好きなだけ一緒にいてよろしい、という許可をいただきました。
ヨゼフ(弟)には、特に手紙は書きませんでした。おそらく諸聖人祭には、お母さまが彼の所へお出かけになって、何もかもお話しして下さると思ったからです。
たくさんのお祈りをお願いします。ぼくに必要なのはそれだけです。そのほかのことは、母なる修道会がみんな配慮してくれています。本当にお祈りだけが必要なのです。あちらには危険がいっぱいだといいますから。聞くところによると、悪い女たちが街角で、聖職者さえ誘惑するらしいし、それでもぼくは、その危険な道を毎日学校に通わなければならないのです。
それからお母さま、ヨゼフに、聖体拝領のとき、ぼくのことを思い出してくれるよう、また少しでもいいから、聖アントニオに祈ってくれるようお伝え下さい。ヨゼフが前に書いてよこしたように、聖アントニオが彼の願い事を聞いて下さらなかったことがないのなら、今度もきっと聞いて下さるでしょうし、また僕を守って下さるでしょう。
今、旅行の最後の準備中です。今日の夕方出発します。急行列車で行くので、30日水曜日のお昼頃目的地に着くはずです。午後13時にポンテツパ、20時にボロニア着の予定です。(イタリア人は、1日を24時間までとして数えるのですよ。)
旅行が終わったら、何か楽しいことがお知らせできると思います。もうお別れしなければなりません。お母さまの熱心な祈りを、心からお願いします。ご恩をいつも忘れないでいます。
マキシミリアノ
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