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コルベ神父『母への手紙』03ー1912年10月28日ローマの街とイタリア人(18歳)

聖コルベ神父が18歳から死の直前まで母マリア・ドンブロスカへ綴った手紙。
聖母の騎士社刊『母への手紙』より

1912年(大正元年)から1917年(大正6年)まで

18歳から23歳までのプロフィール
●18歳-ローマ・グレゴリアン大学へ留学
●20歳-父・ユリオ・コルベがロシア軍から殺害される。享年43歳
●21歳-グレゴリアン大学より哲学博士号を受ける
●23歳-同士六人で聖母の騎士信心会を創立

1912年11月21日ローマの街とイタリア人(18歳)

愛するお母さま

今日、お母さまのお手紙を受け取りました。ぼくたちの神学校では、休日になっている木曜日と日曜日だけ、手紙を渡してもらえるのです。でも月曜日には手紙が届いていたことを、ぼくはちょっとしたことから知っていました。

こちらの様子は、以前ぼくが耳にしていたほどには、またお母さまに以前書き送ったほどには悪くありません。

イタリア人たちは、ぼくたちにちょっかいを出すほかにも、やることがたくさんあるみたいです。おまけに、ぼくたちはいつもグループで歩いています。だから、イタリア人の誰かが、ぼくたちに余計なことをすれば、それに見合ったお返しがあることを、まず考えるべきでしょうね。

共同自習室でこの手紙を書いているのですが、この部屋は時として個室のように静かです。今もぼくの他には誰もいません。休日の自由時間なので、みな庭でレクリエーションに興じています。

今日も散歩から帰ったばかりですが、ぼくたちは休日の散歩の度に、毎度違った教会で聖体訪問をします。なぜって、ローマには300もの教会があるからです。

今日は聖女セシリアの教会に行ってきました。ちょうど明日が聖女の祝日に当たるからです。荘厳な晩歌が歌われていました。素晴らしい男声合唱でした。あれに比べると、ぼくたちのコーラスは、恥ずかしくて表に出せません。十二の枝を持つ、おびただしい数の燭台があって、そのローソクの輝きが印象的でした。教会にあふれていた人のほとんどは、世界各国の神学生や神父様方でした。聞くところによれば、ローマには3万人もの修道士、修道女がいるのだそうです。

その教会は、聖女セシリア自身の古い邸宅で、少し手が加えられています。片隅に風呂場を見ました。教会には聖女の遺物もあります。聖女はここで殉教したのです。すべて、実に大きいという印象を受けました。(なんだか少しだらだらと書きすぎたようです。)

聖スタニスラオ・コスツカの祝日には、今日チャペル(礼拝室)になっている彼の部屋を訪れました。キリスト信者が殉教した有名なコロッセオも見ました。円形闘技場の土には、あまねく殉教者たちの血がにじんでいるのです。この神聖な場所が汚されないように、ある教皇が、地表を厚さ四メートル、五十トンの土で覆うよう命じたとのことです。

例の件については、今日、ドミニコ・タバニ校長にお話しします。

ぼくの住所は、
Fr.Massimiliano Collegio Serafico Via di S.Teodoro n.4VE Roma Italia

お祈りをお願いします。もちろんぼくも忘れません。

コンベンツアル聖フランシスコ修道会関町修学院サイトでも続きをご覧いただけます。

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