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神学生の創作絵本「カシアノさんのおくりもの」最終回(5回シリーズ)

ポーランドから来日し、おもに炊事場で働いたカシアノ修道士の物語

ポーランドへ戻ったコルベ神父さまを待っていたのは、欧州全体を包んでいた世界大戦に向かおうかという不穏な空気でした。そしてナチス・ドイツによるポーランド侵攻によって、第二次世界大戦の火ぶたが切って落とされ、ユダヤ人やキリスト教徒らに対する大規模で残酷な迫害の時代が始まったのです。

一方、日本も軍国主義の波に飲み込まれ、アメリカとの太平洋戦争に突入しました。わたしたちの生活も政府と警察による厳しい監視下に置かれました。そして一九四五年八月九日、長崎に原子爆弾が落とされ、町は一瞬にして廃墟と化し、無数の尊い命が奪われたのです。
わたしたちが、コルベ神父さまのアウシュビッツ強制収容所での「身代わりの死」を知ったのは、戦後間もなくのことでした。不思議なことに、わたしたちにはその死がとても神父さまにふさわしい、当然の結果であるように思えました。

「死はぶっつけ本番で迎えるものではありません。生涯をかけて、少しずつ準備をするものです。わたしたちはマリアさまの子であり、同時に騎士です。騎士は自分の主人のために命を捧げます。わたしたちはマリアさまのために必要であれば、命を捧げる準備が出来ていなければなりません。しかも、それは普通の死に方ではなく、どこか遠い国の塀の下で飢えと寒さで死ぬことや、最後に頭に銃弾を受けて死ぬこと、これが聖母の騎士であり、本当の喜びです。わたしたちはそういう精神を持たなくてはなりません。そういう精神を持たない人であれば、マリアさまはきっと別の人を連れていきます」。

そう話すコルベ神父さまの顔は、静かに、しかしいつになく紅潮しておられたのを覚えていたからです。

戦時中、わたしたちの修道院は多くの困難に見舞われました。

それは修道院の存続にかかわる危機の時代でしたが、それでもわたしたちは希望を失うことなく、平和な時代が訪れることを信じていました。なぜならわたしたちには、けがれなき聖母マリアさまとその浄配聖ヨゼフという、神さまに対してまことに力強い執り成し手がおられ、毎日その助けを必死に祈っていたからです。

とくに福音書の中で、幼子イエスさまと聖母マリアさまを保護するために、ひたすら神のみ旨に従順に奔走された「正しき人」聖ヨゼフに、わたしたちは全幅の信頼をおいて、特別な祈りと崇敬をお捧げしたのです。

コルベ神父さまも「聖ヨゼフは聖母の騎士の理想の姿、真の鑑です」とつねづね語り、特別な尊敬と信頼を寄せるようにと、わたしたちにすすめておられました。

「聖ヨゼフの聖性の素晴らしさは、何事にも自分を求めない深いけんそんと、白百合のような天使的純潔、そして神さまのみ旨への絶対的な信頼にあります。これらの徳は、わたしたち修道者がよく黙想し、ぜひとも見習わなければならないものです。わたしたちは聖人になるために、何も人目をひく特別なことをする必要はありません。むしろ、聖ヨゼフのように沈黙を愛し、与えられた仕事を誠実に果たし、どのような困難に直面してもつぶやかない、神さまへの深い信頼と愛を持つように努めればよいのです」。

コルベ神父さまの生涯は、わたしたちが人生の中で直面せざるを得ない様々な苦しみに、実は大きな価値が隠されていることを、教えてくれます。そのコルベ神父さまの言葉をもって、この物語を終わりましょう。

「人生は一度きりです。わたしたちは聖人になりましょう。それも、中途半端な聖人ではなく、けがれなき聖母の御助けによって神さまの最大の栄光のために、偉大な聖人になりましょう。苦しみはそのための最高の燃料です。わたしたちが愛をもってその苦しみを受けるなら、どれほど多くの人々の霊魂を、神さまに捧げることが出来るでしょうか。

皆さんは神さまがどれほどのノスタルジーと憧れをもって、わたしたち一人ひとりの天国への凱旋を心待ちにしておられるかを、理解できますか。おそらく理解できないでしょう。わたしたちが神さまに憧れるなら、神さまはそれよりはるかに勝った無限の憧れをわたしたちに抱いておられるのです。

偉大な聖人になる秘訣―それはイエスさまがそうされたように、あなたのすべてをけがれなき聖母と聖ヨゼフに全く委ねてしまうことです。イエスさまは、お二人によって『知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された』(ルカ二・五二)のですから、あなたをもう一人のイエスさまとして、育てることがお出来になります」。(おわり)

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