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神学生の創作絵本「カシアノさんのおくりもの」第四回(5回シリーズ)

ポーランドから来日し、おもに炊事場で働いたカシアノ修道士の物語

生来、神経が細かったわたしは、日本に来てから度々悲しみに沈むことがありました。あまりにもそれまでの環境と異なり、肉体的にも精神的にもいろいろな困難に直面し、少しまいってしまったのです。

「仕事が忙しく、勉強する時間がない。生活もつらい。もうポーランドに帰りたい」。

悲観的になったわたしは、とうとうコルベ神父さまに打ち明けました。すると神父さまの顔がみるみる曇ってきて、黙ってしまわれました。

しかし、コルベ神父さまの哀しそうなまなざしを一瞬間目にした途端に、わたしは耐えかねて部屋を飛び出し、それからはどんなに辛くても、二度とポーランドに帰りたいとは言いませんでした。

ある晩、わたしは次のような夢を見ました。コルベ神父さまがわたしのところへ来られ、わたしの手を取って、何も言わずにわたしを高い山に連れて行きました。そして、「愛する子よ、聖母マリアさまがお前をここで犠牲にすることを求めておられる」と言って姿を消しました。

とても不思議な夢で、わたしは深く考えさせられました。聖母がわたしの苦しみを知っておられ、聖母への愛の証しとして、そして人々の永遠の救いのために、わたしがその苦しみを耐え忍ぶことを聖母は望んでおられると、はっきり悟ったからです。

「苦しみそのものは愛の本質ではありませんが、苦しみと犠牲は愛の証明です。愛のために大いに苦しむことが出来る人は、イエスさまのように自分の愛の深いことに幸福を感じることでしょう」。

そのようなコルベ神父さまが、最も深い母性的愛を示されたのは、ゆるしの秘跡の時でした。母親が泣いている子供を抱きしめるように、神父さまは度々、わたしを心で抱きしめ
てくださったのです。

「過ちを犯したとしても、やけになって悲しんではなりません。倒れた場合には、それを悲しむ代わりにすぐに起き上り、大きな信頼と愛をもってけがれなき聖母のところへ馳せ参じてこう言いなさい、『愛するお母さん、あなたはわたしの弱ささえからもより大きな善を引き出すことがお出来になります。これがわたしにとって、唯一のなぐさめです』と。
どのような過ちであれ、それが幾度となく繰り返されるものであれ、けがれなき聖母がわたしたちに過ちを犯すことを許されるのは、それによってわたしたちが自分のありのままの
姿を知り、謙虚な心に改められて、ますます神さまの恵みに忠実な者として、人々の救いのために働くことが出来るようにと望んでおられるからです」。

コルベ神父さまは、決して修道士たちに罰を与えるようなことはしませんでした。むしろいつも優しい言葉でなぐさめてくださいました。それは、コルベ神父さま自身、誰よりも自分自身の弱さをよく知っておられ、誘惑と闘っている兄弟たちの苦悩に共感できたからです。

修道会の意向によって、コルベ神父さまは日本での六年間の布教を終えて、母国ポーランドに帰ることになりました。神父さまは日本と日本人を大変愛されていたので、出来ることならこの国に骨を埋めたいと望んでいましたが、神さまのお考えはまた別にありました。神父さまと離れることは、わたしたちにとってもつらいことでしたが、これも聖母のみ旨として
受け入れなければなりません。

コルベ神父さまは香港に向けて航海中の船上から、わたしたちに手紙を書き送ってくださいました。それは、母親が家に残した子供たちに噛んで含んで聞かせるような、霊的生活の成長のために大切なメッセージでした。

「愛する子たちよ、わたしがあなた方に話したすべてのことを、たびたび思い出しなさい。そしてそれを、いつも、いつも心に留めておきなさい。
あなた方の心に、敵(悪魔)が悲しみや失望の感情を湧き起こしたなら、けがれなき聖母にすぐに助けを求め、その誘惑を聖母にまかせてしまいなさい。けがれなき聖母はその誘惑から、より大きな善を引き出すことがお出来になります。何事にも心乱すことなく、いつも心に平和と落ち着きを保ちなさい。わたしたちはけがれなき聖母にすべてを捧げた以上、最良で最愛の聖母が許されない限り、わたしたちの身の上には何も起こりえないのです。ですから、人々の霊魂の救いのために一生懸命にはたらき、苦しみながらも心穏やかに、聖母のふところの中で憩いなさい。人生の最期を迎える時、けがれなき聖母のためにたくさんの労苦を耐え忍んできたことを思い起こすことのできる人は、どんなに平安で幸せでしょうか」。(つづく)

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