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バレンタインチョコを送る方法

インターネットとパソコンがオフィスに来る前、社内文書は「社内便」でやり取りされていました。

映画「シン・ゴジラ」で遺品として登場したやつです。封筒に発信元の部署と名前、送付先の部署と名前を書いて、書類を入れ、オフィスの入り口そばにある「メール箱」に入れると専門のスタッフが、一日に数回集めに来て、運んでくれます。

上記の専用封筒は必ずしも一般的ではなく、多くの日本企業では、使用済み封筒に「発信元+送付先」のラベルを貼って使用していました。庶務のOLさんが手の空いた時に封筒に糊を貼って手造りする感じです。

ネット上の書式サイトにテンプレートが掲載されているところを見ると、今でも使用している会社があるのかもしれません。

バレンタインデーには、大量のチョコが社内便でやり取りされ、通常業務に支障をきたし、企業によっては「バレンタインチョコの社内便使用禁止」の布告を総務課長が通達することさえありました(壁に貼ってありました)。

日本の1990年の平均年齢は37歳、2020年は47歳ですが、当時の大企業では40歳すぎで関連会社に出向する人や、24歳までに結婚退職する女性も多く、体感的なオフィスの平均年齢は、現在より15~20歳くらい若かったと思います。

当時は仕事の役割が男女できっちり分かれていたので、競争相手にはならず、日本的雇用の一環として社内恋愛や結婚は奨励され、その結果部署によっては、毎日が合コンみたいに業務が進行することも珍しくありませんでした。管理職の考課に部下の結婚が含まれていた会社もあったくらいです。

それには当然悪い面も多く、なじめない人もいましたが、大半は順応し、全体的に見ると、セクハラやパワハラという言葉がなかった時代の会社でも、皆そんなに悲壮な感じで働いていたわけではありませんでした。そして現在では結婚できないであろう人でも家庭を持つことができました。

メール便の一類型としては、「エアシューター」がありました。専用の筒に書類を入れてオフィス内のチューブに入れると、ヒューンと飛んでいく仕組みです。1985年に公開された「未来世紀ブラジル」にエアシューターの様子が出ています。

当然のように、バレンタインデーには、エアシューターはチョコレートで渋滞し、結果社内通達が出ることになりました。

当時の歌謡曲は、そういう時代背景と女子の気合をうまく表現していました。1986年発売のバレンタイン・キッスは当時の女子高生がお姉さんたちの仕草を、女子高生風にアレンジして勝負に出ている情景をうまくとらえています。

当時は高卒のOLは普通で、3年くらい勤めて21歳くらいで結婚退職する人も大量にいたので、女子高生とOLの心理的な距離は今よりずっと近く、高卒で就職し2~3年で社内で結婚相手を見つけて退職するというキャリアパスは一種の王道でもありました。だから元気もあるし、気合も違います。


2020年の40年前は、松田聖子がデビューした1980年ですが、1980年の40年前の1940年は真珠湾攻撃の前年で、日独伊三国軍事同盟が締結された年です。それくらい昔の話なので話し半分にお楽しみ頂ければと思います。

それでは良いバレンタインデーをお過ごしください


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