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真夜中唐突に介護を考える

随分更新してなかった。

転職は、実家の家業に入りました。
灯油、LPガス、米、水道工事、あとタバコやらなんやら、何でもしている我が家。最近パンク気味な父の手伝いをすることとなりました。

といっても、知識や資格がないので、勉強しながらの日々です。


それで転職のことなんですが。

関西に出たくて職を辞めて転職を考えたのですが、諦めました。というか、諦めざるを得ない現実がありました。

①認知症祖母の介護

年始早々のこと。
大寒波襲来でクッッッッッソ寒かった夜7時20分。

祖母がいなくなった。

警察の方にもお世話になって、近所の方も心配されて、ちょっと遠方の従兄弟がすっ飛んできて。ケアマネさんやらデイサービスの方も探していただき。国家試験の勉強を放棄して探しに出た妹。年末年始ということで家に戻ってた弟。父、母、私。
街のハズレに行ってた前科があったのでそこまで車で探しに行ったり、真っ暗な道のガードレールのない川を覗き込んだり、橋から下を覗き込んで、大きな交差点にビビり散らして。

川の中にいた。靴も履かず、薄着で。

安堵してめっちゃ泣いた。死んだかと思った。見つけてくれたのは私より年下の若い子。わざわざ川におりてくれて、ビショビショに濡れた祖母を引き上げて上着まで掛けてくれて。本当にあの時の少年たちありがとう。ほんとに立派な子だった。今でも時々心でだけどお礼してる。

結果としては、怪我もなくて凍傷とか低体温とかもなく、次の日には出来事すっかり忘れてご機嫌でデイサービスに行ってた。

すると、1か月後。

また居なくなった。
立て続けに2日連続。

正直な話、「ちゃんと見てんのか?」って言いたくなると思う。きっと第三者目線はそうだと思う。

じゃあ私たちトイレにも行けんのか。

ってなるんです。2日とも、両親がトイレに行ってる間(私は風呂に入ってて、妹は国家試験の勉強中)に居なくなってるんです。それまでは一緒に付きっきり。それでも居なくなるんです。

手に負えない。

ケアマネさんからも「早めにご決断を」と言われていたので、耐えかねた両親は、施設を探すことに。

しかしここで立ちはだかるのが、介護点数。

介護点数が足りないんです。
私の祖母は、帰巣本能と、徘徊癖が強くあり、次いでトイレの場所が分からずトイレ以外で排泄したり、被害妄想が激しくなり暴力に走ったりしていました。
ただ、足腰が非常に強くて、家族以外の人と話す時はかなりしっかりしている人なのです。
「そんな人、いんのか?」って感想は通用しません。

私の祖母が、「そんな人」なんです。

だから、介護点数が上がらなくて、思ったような施設に入れないのです。
父と母は、血眼になって施設を探して何度もケアマネさんと打ち合わせをしていくつもの施設の方と面接をしました。

その間、父は仕事をしながら母は家のことをしながら、私はその父の仕事が軽くなるように母の仕事が減るように国家試験勉強中の妹の邪魔にならないようにサポートをしました。私のことはどうでもいいんですけどね。

それで今から1か月前。
祖母が施設に行きました。

父も母も泣いてました。寂しい。ご飯を食べることが好きな祖母は満足にご飯が食べられるのか。嫌だ嫌だと言って泣いてないか。帰りたくなって暴れてないか。コロナが心配だ。ああお母さん。
そう言って、泣いてました。私は2人の背中を摩ってあげることしかできませんでした。


そしてここからです。


②未来の両親の介護

つまり、私は父と母が今やってることを、父と母にやってあげないといけないのです。

自分のことなんて、二の次にしないといけない。と思った。
両親を手放して都会に行く度胸は、わたしには無かった。

我が家は私で4代目の商売屋。家の継承については、幼い頃から幼いなりに考えていました。そして、私が「女である」という理由で父が諦めてはいけない、と思っていました。
弟は、軽度ではありますが発語が遅く、人と上手くコミュニケーションが取れません。それでも、「僕は家業とは違う道に進みたい」と自らの言葉で言って両親を説得し、春から音楽について学ぶ学校へ進みます。妹は年末年始よりずっと前からの猛勉強の末、無事国家試験に合格したらしく、春から専門的な職に就きます。
2人とも、誇らしい。お姉ちゃんはとっても嬉しい。凄いなぁて思ってる。シスコン・ブラコンっていうのもあるけど。

じゃあ私は?

流石に私も馬鹿じゃないので、分かります。
自分のことなんて言ってられないし、自分のやりたい事をやれる程の力もないのに、何を言っているのか。

という話になってきます。

やりたいことはたくさんありました。
デザイナーになりたい。
何かのパッケージデザインや、商品デザインに関われる仕事に就きたい。
友達と月一で会える距離にいたい。
気軽にユニバや京都に行きたい。
都会の人と関わって自らをブラッシュアップさせたい。

挙げてみるとそんなに無いことに笑いそうになるほど、私には何も無かったのです。

だから、家にいることを決めました。
何にもないから、せめて家業に貢献できるように、と。

ただ、売上が年々落ちてる我が家。
灯油は原油です。ウクライナ情勢から、同業者は赤字祭り。
コロナの影響で人の集まりが激減。今まで売れてたもち米が急に売れず。 
新規事業を考えながらも、それ以上に大きな不安を抱えて歩く毎日です。



私は、どうしたらいいのか。お姉ちゃんは分かりません。馬鹿だから。

今日、学校を卒業する妹。学校に入る前から、将来を見据えて毎日懸命に勉強していました。
来週、今いる学校を卒業して新しい進学先を見つけた弟。いつの間にか自分で自分の意思を言えるようになってました。

わたしは。
わたしは。

そう思うと、どこかに書かないと気が済まなくなってしまったので、書くことにしました。

いまから不安なことは多いです。
私は家業を繋げれれるのか。
彼氏なんて今まで生きてきて1度もできたことないのに、結婚して子供を産んで、自分のような思いをしない子を育てられるのか。
友達だと思っている友達とは、いつまで関係を続けられるのか。
両親の老後を支えられるのか。
両親の介護ができるのか。
悩んだって仕方ないと思っていても、悩まずには居られなかった。寝れない。なんか2週間前に胃腸炎で入院しちゃうし。


それでも、なんだか、生きてしまっている。
私が生きるのは、両親が生きているから。
じゃあ両親が死んだらわたしは?


やっぱり今夜も寝れそうにないです。

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