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ビートたけし、フライデー襲撃事件からの「たった5日間の謹慎での復帰」はなぜ失敗に終わったか?

1986年12月9日午前2時頃、酩酊したビートたけしはフライデー編集部に電話をかける。プライバシーを幾度となく侵害された鬱憤もあった中、交際していた専門学校生の女性がフライデーの記者に負傷させられたことでたけしの怒りは頂点に達していた。

当初は、電話対応をしている記者に対して「TBSへ事情説明に来い」と要求していたが、途中からすぐに説明をするよう求め、「今からそこに行ってやる」とたけしは言い出す。そして、午前3時を回った頃には、軍団11名が集められており、フライデー編集部に乗り込むことになる。

編集長や次長らに暴行したことでたけしは逮捕されることになった。この事件は一斉にワイドショーなどで報じられることになり、8日午後10時まで一緒に飲んでいたという放送作家・高田文夫は次のように驚いたという(*1)。

「俺、次の日ちょっと仕事があったんで、原稿書かなきゃいけないしと思ってさ。12時ぐらいになって俺さ、(一緒に飲んでいた『北の屋』は)四谷だから、荒木町だから。で、俺の家が西新宿だから」

「で、『じゃあ、タケちゃん。俺、先にちょっと明日仕事あるから帰るけど、もうちょっと落ち着いてさ、やろうよこの話は』っつって、ウチ帰ったんだよ。俺、寝なきゃいけないじゃない。で、残ったのはたけしとその軍団しかいないわけだ」

「で、飲んでワーッてなったんだろう。そしたら、朝の6時過ぎにさ、俺がグーグー寝てたら、カミさんがさ、『ちょっとアンタ、アンタ。テレビつけて』って(笑)『なに?』って、テレビ見たらね『たけし逮捕』って書いてあんだよ

「『アンタね、さっきまで飲んでたんじゃないの?』って言うからさ。『俺、さっきまで飲んでたよ、一緒に…あの後、殴り込みに行って、もう捕まってんの?』って。そしたら、カミさんが『うん、タケちゃんは仕事が早い』って(笑)あれは名言だよ(笑)

強行された『元気が出るテレビ』収録

12月9日の事件発生から6日後の15日、驚くべきことにたけしは日本テレビ系の番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の収録に参加する。各局のテレビ番組は「この番組は◯日収録のものです」とテロップ入りでビートたけし出演する内容の放送を行い、さらには番組の収録に参加し、加えて強気な発言をしたことでたけしに同情的だった世論も徐々に変化が生じていく。

なぜたけしの復帰は強行されたのか。この内情について、テレビプロデューサーの土屋敏男は次のように語っている(*2)。

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