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自分を肯定できるのは自分だけ

ここまでのあらすじとして2つのnoteを順番に読むと良いと思います。てかむしろ読んだ方が良い。

僕がおととい(この記事を書いている段階)「この人生が正しいと証明したい」というnoteをあげました。このnoteをあげた経緯としては別に「俺はお前らとは違う」という哀れな自己顕示欲とかじゃなくて、自分の目標的なものをしっかり明確化しておきたいという自己暗示、中高時代などあらゆる場面で劣等感があったり、僕なりの苦悩をしてきたので、それに対する復讐、これから僕が生きていく上で、自分の人生を持って、自分の人生が正しいのだと、間違っていなかったのだと、証明したいという思いを持って書きました。決意表明的な感じです。普段はこういうのは「こっそりnote」として全くもってXに共有しないんですけど、ちょっと共有してみました。それで届いたアンサーが2つ目のリンクのnoteになります。

ここに書かれている「学生」とは間違いなく、誰がどう見ても、少なくとも両者をフォローしているであろう多くのフォロワーは「学生=森瀬千紘」だとすぐに気づくはずです。そして読みました。noteに対してnoteでアンサーされる日が来ると思わなかったので、ビックリしました。すごく嬉しかったです。ありがとうございます。

8年間の付き合いになります。

僕とノブユキさんは、僕が中2からの付き合いです。9個上なのでノブユキさんは既に社会人だったと思います。それこそ私の最古参勢の1人です。2度ほどお会いしたこともあります。長年に渡り、X上で、DMとか、スペースとかで、数えきれないほどコミュニケーションを交わしたと思います。普通に喧嘩っぽい感じにもなったりして、てか大体僕が幼稚だったのが悪いんですけど…(すみませんでした)。そんな感じでかれこれ8年になると思います。8年って凄いね。オリンピック3回目が来ようとしてます。

このnoteが出た時にもう読む前から「僕のことだろうな」と思いました。そして案の定、僕のことでした。人間というものが焦ったいもので、本音とか、肝心なことが言えない。言えないようになってます。SNSで知り合ったなら尚更。人の考えていることなんて100%汲み取るなんて無理です。人間の感情は誰にも破られないセキュリティ装置です。だからこそ話すしかない。ただ話せない。それが人です。

僕とノブユキさんは肝心なことがなかなか言えない感じの関係です。お互いに。何かどちらからかの決心がないと言い出せません。そんな8年間です。それでもお互いに常に意識していると思います。少なくとも僕は、テレビの改編とか大きなイベントが起きた時、他のどんなフォロワーよりまず「ノブユキさんなんか言ってるのかな?」と確認します。そしてノブユキさんもそれは同じなのではないかなと。少なくともこのnoteを書いてくれた時点で僕のことを意識しているのは必然だと思います。これってもうシンメです。シンメだと思います。赤西仁と亀梨和也、中島健人と菊池風磨、平野紫耀と永瀬廉です。それくらい長い付き合いのあるかけがえのないフォロワーさんです。

「否定」するのは簡単で、「肯定」するのはとても難しい

「絶望」と書かれていますが、そんなことないと思います。「お前が言うんじゃねぇよ」と言われるかもしれませんが、人の数だけ幸福はあるはず。趣味を持たない人がいる中で、そしてテレビが観られなくなっているこの世の中で、朝起きてまず『THE TIME,』の実況をする人など、統計を取ったらそうそういません。それくらいのテレビに対する強い愛、そして強い気持ちが長年持続しているだけで凄いと思います。

僕は持続する力が絶望的にないので、そこに対する憧れがあります。最近気づきました。僕はどんな面白いバラエティでもいずれ観なくなってしまうのだと。好きなバラエティ番組はたくさんありますが、正直最近は忙しいものあって毎週観れません。時間あっても結局ドラマを優先して観ちゃうか、YouTubeでよにのちゃんねるor粗品のロケを観ちゃいます。僕は古参ファンになれない。少なくともノブユキさんはテレビもラジオも欠かさず観たり聴いたりしていることで、「古参ファン」になっている番組はいくつもあると思います。

大したこと言ってないかもしれないですが、このように人は必ず誰がに嫉妬を抱き、誰かの人生を見て「劣等感」や「絶望」を抱きます。僕はマイナスことはもう極力ポストしないと決めたので、最近は明るい話題を話すようにしていますが、僕は自己肯定感が限りなく低いので、絶望も死にたくなったようなことも全然余裕であります。高校時代は常に「自死」と隣り合わせでした。今はそこまでのことはないですが、それでもちょっとは思います。(僕の中高時代については父親を亡くした時に書いたnoteに詳しく書いたので、興味あれば探って読んでみてください。)

「絶望」はノブユキさんだけじゃなくて、誰にでも存在します。そしてその悩みには大小も優劣もありません。だからこそどうか自分の人生を「絶望」と言わないでほしいです。僕はまだ何も成功していません。何も成し遂げていない。まだこれは道の途中ですし、人生何が起きるかわかりません。その人の人生が幸せかは、死ぬ時にわかると僕は思います。それまでは幸せと無理に感じる必要はないし、誰かと比べて自分を卑下しないで欲しいなと僕は思います。

「否定」するより「肯定」する方が難しいです。これはすべての事案でそうです。否定することは簡単です。拒否することと同じだから。肯定することは何よりも難しいです。僕はこれから自分の人生を肯定したいという思いで、あのnoteを書いてみました。僕も自分の人生を真の意味で肯定できたことはないからこそ。

自分を肯定できるのは自分だけ

僕はLE SSERAFIMというK-POPグループが好きです。先日「コーチェラ」というアメリカの大音楽フェスで45分以上に渡り、生歌&ダンスでパフォーマンスをしました。僕はタイムシフトで観ましたが、堂々としていて、カッコよくて、感動しました。しかしX上ではパフォーマンスに対して大きな賛否が起こりました。中にはひどい誹謗中傷まがいの批判も数多くある中で、宮脇咲良さんがファンのコミュニティサイトで「私たちが見せてきたステージの中で、最高のステージだった」という発信をしていて、感動しました。自分の努力を自分で認めて肯定していることはファンとしては何よりも嬉しいし、やはり自分を肯定することってとても難しいことなのだと学びました。

僕がこんな発信をするのを烏滸がましいし、場違いなのはわかっています。人には人の数だけ幸も不幸もあることは重々承知ですが、どうかここまで生きた自分を褒めて欲しいです。ノブユキさんも、みなさんも。自分を本当の意味で肯定できるのは自分だけです。誰かと比べて悲しくなるより、過去の自分と比べて、少しでも肯定できる何かを探してみてほしい。その方が少しは心が穏やかになれます。僕はこれを宮脇咲良さんから学びました。今こうしてあのnoteではっきりと志望業界を綴れたにも、この考えを知ったからです。

それと同様にテレビ番組のことも肯定してください。この番組、よくないなと思っても、良い面が必ずあります。全肯定はする必要は無くても、全否定はしないでほしい。どんな番組にも制作者の意図やメッセージが必ずあります。それがない番組なんて番組じゃないと僕は思います。『CAIND』もふざけているように見えますが(実際かなりふざけてますが)どうすればゲストの魅力が最大限に引き出されるか日々研究しながら作ってます。ゲストのこんな面白い場面知ってほしい!っていう思いで作っています。テレビ好きはテレビの味方をしましょう。親衛隊となってテレビをそんな見てない層を取り込むのです。プラスの意味で扇動していきましょう。

なんだか自己啓発noteになりそうですが、話を戻すと、僕のフォロワーさんにも、ノブユキさんのフォロワーさんにも、そしてノブユキさんにも、少しでも自分の人生を明るく歩んで欲しいなと思ってこのnoteを書いてみました。そしてこんなことを書いている僕自身もそんな明るい人生を歩めている自信はありません。別にそれが正しいわけじゃないと思います。でも少しでも現状を変えたくて、今の大学に入って、いろいろやってきたこと(鍛錬って言うのかな?)は肯定したいなと思います。かつては僕もどんな些細なことでも誰かと比べて「自分なんて」と思うタイプでした。根底にはこの負の感情が今でも根付いているし、ふと無意識に誰かと比較してしまう自分もいます。でもある時、友人に自分を卑下するのは良くないと言われてハッと気付かされました。それって周囲にとってすごく良くないし、失礼だなと。僕に関わってくれた人に申し訳ないと思いました。CAINDに誘ってくれた、制作に誘ってくれた、アルバイトに誘ってくれた、友達でいてくれた人に申し訳ないです。自分を卑下するとはそういうことに繋がるのだと思います。努力なんて報われることの方が少ないし、世の中理不尽で不平等だらけで生きづらいですが、マイナスなことを考え続けると、プラスな方向に軸を戻せなくなります。なのでみなさんも少しでも明るい気持ちを持って、好きなものを見て、楽しいことをして、少しでも希望になる何かを探して欲しいです。僕がテレビ業界に行けたら、みなさんの人生をちょっとでも明るくできるような番組を作れるように頑張るので、みなさんも、そしてノブユキさんもどうかそれまで生きてください。よろしくお願いします。
これは「テレビウォッチャー・せかもり」としての遺言です。

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