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気づいた。心を揺さぶっていたのは自分。前編

令和3年3月13日に話し方の学校アドバンスコース。

卒業いたしました!!講師の先生、支えてくれた仲間、見守ってくれる『理不尽な妻』のおかげです!!その『理不尽な妻』の正体がスピーチで聴けます。

話し方の学校スピーチアワード・大阪8期


2:40:00〜げんおかんがスピーチしております。紹介者の仲間の登壇前の紹介も、これまた素敵なんですよね。

1年と2ヶ月をかけての卒業でした。ぼくはこの『2ヶ月』という部分を物凄く強調していつもお伝えさせていただいています。それはこのプラスの2ヶ月間というのは、学校が休講、つまり開校されず通えなかった期間でした。この授業のない2ヶ月が、ぼくはドラマだったと感じているからです。

状況としては、コロナ感染防止の緊急事態宣言が出た期間でした。ちょうどスピーチの勉強が本格的に始まる前の、ベーシックコース2回目の講義。副学長の吉井奈々さんの講義の後から、緊急事態宣言を受け、話し方の学校が2ヶ月の休講になりました。

その時にあった出来事になります。
2講の奈々さんの講義内容は、『心を豊かにする』というテーマにした、日常の「名前を呼ぶ」「お願いをする」「言葉を受け取る」はプレゼントなんだと意識して過ごす、丁寧に生きるための講義でした。はい、話し方のこと全然教わってないです。そう、なのでベーシックコース1回目で鴨さんから『聴く』ということを教わり、2回目に奈々さんから『感情の豊かさ』を教わるのです。話し方の学校。

今だから1年以上通し、教わったことを素直に毎日取り組み、その自分の変化を感じてはじめて驚かされるのですが、『聴く』『感情を豊かに』とまだ入学して2ヶ月の自分たち学びに来た仲間の実感としては、“不安”があったと思います。はたしてこれで「話せる自分になるのだろうか・・・」そんな思いになった仲間もいたかと思います。

実際、2講目を欠席した仲間はいたので、その仲間にとっては、よりその不安は大きかったと考えられます。ぼくはその時に、きっとこの休みの間に元気がなくなる仲間も出るだろうな、そんな考えが頭をよぎったのを覚えています。

自分自身が、2講目の最後に副学長の奈々さんに2ショット写真をお願いした時に「みんなで卒業します!みんなのおかんになります!」と、自分のニックネーム『げんおかん(おかんは関西弁でお母さんの意味です。ぼくは自分の母のようになりたいのです)』になろうと決意表明したことも覚えています。

「あらぁ♪ステキじゃな〜い♪」そんな愛嬌たっぷりの肯定的な奈々さんの言葉は今でも、ぼくの背中を押してくれています。

話し方の学校には、ありがたいことに毎日。毎日ですよ、『宿題』が出されていました。課題内容は各講義の後に出されますが、概ね同じ内容の課題を、Facebookのグループページに投稿します。毎日、毎日ですよ。投稿できなくても気にすることはありません。これは自分の学びのための実践だからです。投稿できなかったとしても、宿題をする人、した人だけの得られる価値になります。

そこで、ぼくが、2ヶ月間休みの間、仲間が元気になってほしい、元気をプレゼントしたいという気持ちで途切れず、毎日毎日取り組んだことが、宿題でした。

2講目を休んだ仲間の予習復習のために、奈々さんから教わった学びをまとめた宿題を投稿しました。宿題を投稿している仲間の笑顔を見かけたら、コメントで言葉をプレゼントしました。ベーシックコースのリーダーが企画した『100ほめバトン』。仲間が自分の笑顔の写真を投稿したら、その笑顔の写真のコメント欄に100個のほめ言葉コメントがつくまで、仲間みんなでコメントするというリレー形式の企画です。100番目のほめ言葉をプレゼントをした仲間が次のほめられる順番。その先頭ランナーを担当し、走り終えた後もバトンを受け取った仲間の笑顔をほめコメントしていました。最終的に卒業時には70人近くの仲間が100ほめバトンに参加していました。

宿題で、仲間の笑顔にふれ、仲間にほめ言葉を贈り、仲間の宿題に励まされ。

そんな学校のない2ヶ月間でした。この期間は、感染拡大のニュースや、医療危機のニュース、経済破綻の不安を予測するニュースなどが一番流れていた、先が一番見えにくい時期だったことでしょう。情報を冷静に判断できない混乱していた時期とも言えます。

今でも思い出せます。待ちに待った、第3講。

鴨さんが言った言葉「この2ヶ月ネガティブだったよね?逆にこの2ヶ月ポジティブだった人いる?」という、ポジティブだった人いる?という質問に、ぼくは真っ先に手を挙げたことを覚えています。

鴨さん「どうやってたの?」げんおかん「宿題です♪」

仲間のみんなから、いいねっ!を、その時プレゼントしてもらえたのを鮮明に覚えています。そしてそれは仲間みんなが、ぼくの宿題を受けとめてくれていたからこそ、自分の気持ちが前を向けたのだという、ありがたい瞬間でもありました。

あの日を思い出して、気づいたんです。
元気がない時ほど、元気は自分で引き出して、元気をプレゼントするから価値があるんだということ。そしてその元気を受けとめてくれる仲間がいるから、ぼくは元気になっていたことに。

ぼくができること。宿題。たったこれだけです。

笑顔の写真を投稿する。毎日誰かにほめ言葉を丁寧に渡す。日常の出来事をそのままの気持ちで感謝して伝える。そして、そんな毎日を投稿する。

その宿題にコメントをプレゼントしてくれる仲間がいる。リアクションをプレゼントしてくれる仲間がいる。卒業後に手をギュッと握りしめて涙ながらに、「宿題を私も続けたいんです。げんおかんさん、宿題、続けてください。私、一人では無理なんです。だからお願いします」そう言ってくださる仲間もいる。年齢が、いくつも上の優しくて、穏やかで、勉強熱心な方です。そんな素晴らしい方が目に涙を溜めて卒業の日にお願いに来られていました。

ぼくができること。宿題。たったこれだけです。
日常を丁寧に意識して生きる。そう、これだけです。

ぼくは手を握り返しながら涙ながらに言葉を返しました。
「もちろんですよ。一緒に宿題、しましょう。」

1年と2ヶ月。425日。笑顔とほめ言葉を意識した毎日。
特に一番、元気がない時期に、みんながいたから乗り越えられた2ヶ月間。

ぼくができたこと。宿題。

この投稿を読んでくださっている方も、きっと何かを続けれているから、今この投稿を読んでくれている。仕事に行くこと、家族におはようと言うこと、掃除や洗濯をすること、朝になると目が覚めるということ、そしてあの苦しい時期を乗り越えて今ここにいるということ。きっと読んでくださっている方の心に、乗り越えた何かがある。

すごいね、素晴らしいですね。読んでくれてありがとうね。本当にありがとう。

そんな苦しい時もあるからこそ、笑顔になれる。

ドラマの登場人物に、苦しい時もあきらめない登場人物、『宿題』がいてくれてよかった。

次回、鴨スピーチ研究所『気づいた。心を揺さぶっていたのは自分。後編』では、鴨さんの【エピソードスピーチ】がなぜ心を動かすのかを分析していきます。

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