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7年間過ごした新潟生活

第二の故郷

18歳の時、人生で初めて地元の北海道を離れ、来たのが新潟県だった。
人生初めての一人暮らし。だけど、気が付けばもう7年が経っていた。

振り返ると、辛かったこと、お腹を抱えるくらい笑ったこと、悔しくて泣いた日、愛おしく思った日、たくさんの日々がこの7年間に詰まっている。

いざ、今日で最後だと考えると寂しいし、たくさんの思い出が蘇って浸っている自分もいて、充実した日々だったんだなと改めて気付いた。
自分にとって新潟は第二の故郷になった。
そんな7年間を振り返ってみたいと思う。

大学生活

新潟で過ごした7年間のうち、大学4年+社会人3年という感じで過ごしていて
前半の大学生活はバスケットボールが中心。
どうしたら上手くなれるのか、試合で活躍できるのか、それしか考えてなかった。
休みの日でも練習してたし、プロを目指している訳ではないのに、意識だけは一丁前だった。
バスケットボール中心の生活だから夜も遅くて22時まで仲間と体育館にいることも頻繁でそれほど、バスケが好きでのめり込んでいた。

ただ、上手くいかないことばかり。自分では努力したつもりでいて、結果がついて来ないときに「ほら、努力しても報われないし、意味ないじゃん、なんのために、誰のためにやってるのかわかんなくなるし、苦しい」と思うようになった。

その時期と重なるように、チーム内に問題が発生してその時、監督が人として信じられない言動をしてから監督を信用できなくなり、何をしに練習してるのか、バスケをしているのかわからなくなり、全力を出しても意味がないと思うようになり閉ざした。
そして、大好きだったバスケの熱が徐々に冷めていった。

それでも4年間、辞めずに続けられたのは仲間の存在、心理カウンセリングの先生、友人、家族の支えがあったからで一人では何もできなかったから本当に感謝しています。

悩み事があったら相談できる仲間が傍にいて、アドバイスをくれる、力になってくれる。助けてくれる。

大学の授業で器械運動があって、その中に鉄棒のテストがあった。
人よりコツを掴むのが遅くて、要領も悪い自分。もちろんできなかった。
今自分にできることは練習あるのみ。数をこなすしかないと思っていたから
部活後、違う体育館で鉄棒の練習をしていた。

自主練終わりの同期が自分を見つけて、帰る途中だったのにわざわざ、鉄棒の練習に付き合ってくれた。
たった1回しか成功しなかったけど、
それでも、自分のために時間を割いてコツやアドバイスを真剣に教えてくれるその姿勢が嬉しかった。
仲間が困っていたら力になりたいと強く感じた。今度は自分が助けたいと。

警察生活

大学卒業後、警察官になった。
警察官として現場に出るには、まず警察学校で半年間、基礎を叩き込まないといけないので、半年間人生初めての寮生活を経験した。

そして坊主も。。坊主にした時、後輩にバリカンで刈ってもらったんだが、容赦無く真ん中からガッツリやられた。
うあーああああああ!!!!髪の毛がああああああ!!!!!!!
って床に散らばった髪を見ていた。

警察学校での生活は、毎日が非日常で常に緊張していたし、いつ怒鳴られるかわかなくてビクビクしながら必死に毎日生活を送っていた。
携帯も娯楽品も使えない中、唯一の楽しみが自由時間にセブンティーンアイスを食べることだったのでその自販機を街中で見かけると懐かしさが蘇る。

生まれて初めて自分を極限まで追い詰めて向き合って、自分の弱さ、脆さがどんどん剥き出しになっていって逃げ出したくなった。
弱音ばっかり吐いてたし、無力だなと感じた日もたくさんあった。
こんな中身のないやつが、自分のことですら手一杯のやつが現場に出て困っている市民の力になれるのか、安心させることができるのか不安で自信がなかった。

ここでも仲間の支えがあって励まし合って、鼓舞し合ってなんとか乗り越え、
卒業することができた。
楽しさも苦しさも分け合った仲間たちとの絆は深いと勝手に思っているし自分にとってはかけがえのない存在になった。

大切なものは減っていく

自分はこれまでたくさん助けてくれる優しい人たちに囲まれて生きてきた。
どのステージでも大切な仲間いて本当に恵まれていたと思う。

ただ、あんなに仲が良かったのに、日に日に連絡の回数が減っていって
会う回数も減っていって、どこか、だんだんよそよそしくなっていくこの感覚は仕方ないことかもしれないが寂しいと感じる。

小さい頃は年齢を重ねる毎に大切なものは増えていっておじいちゃんになる頃には大切なもので溢れていると思っていたけれど、むしろ逆で減っていっていると今は感じる。
だからこそ、一つ一つ大切にしていきたいし減らないでほしいし願っている。
もし、それでもこぼれ落ちていってしまったなら、それは自分ではコントロールすることができないことで、考えてもどうすることもできないで、相手自身が決めることなのかもしれない。

それでも残ったもの

反対に減っていったからこそ大切なものがより明確になって大切にしていきたいと思うようになった。
いつも近くにいて気付かないけど、こんなにも好いてくれていたんだなとか、大切にしてくれてたんだなって気付く瞬間ってあると思う。
失ってから気付くってよく聞くけど、自分は、写真に気付かされることが多い。

写真はその瞬間を切り取って出来事を形として閉じ込めてくれるもので昔から好きだった。
煌びやかな場所での撮影よりも日常の中でのくだらない写真が好きで、見返すと、これなんで撮ったんだっけと思うくらいの写真もあるけど、日常にはたくさんの小さな思い出が詰まっていて、見返す度に楽しかったなって気持ちになる。
今日も今も見返している。

だから頻繁にシャッターを押してしまうし、たくさん幸せな瞬間を残したくなる。
写真を家族、友人、パートナーに共有するのも好きだし、その人にも届いてほしいなって勝手に思いながら写真をやっている。

自分にとってそれでも残った大切なものは、たくさんシャッターを押したくなった相手でもあるし、自分を大切にしてくれてると互いに伝え合っている相手だと思う。
些細なことでも「ありがとう」「ごめんね」を伝えていきたい。

最後に

新潟では地元以上にあったかい人たちで溢れていて、居心地がいい場所を与えてくれた。ありがとう。
7年間も住み続けたのも心が満たされていたからだと思う。
それを捨ててでも叶えたいことがあって、目標があって挑戦をしたくて
踏み出した。
この先後悔するかもしれない、挫折が待ってるかもしれない、見えない不安に押し潰されそう、自分の中からたくさんの声が聞こえてくる。

マリリンモンローの名言でもある「100人の専門家があなたに才能がないと言っていても、その人たち全員が間違っているかもしれない」という常識を疑う心を忘れずに挑戦していきたい。

待ってろ世界!!


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