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嫌いな金曜日と大好きだった運転手

小さい頃マレーシアに住んでいた。

当時は危険かつ公共交通機関も未発達な地域だったため、運転手がいた。
運転手はどのようにマッチしたか覚えてはいないが、最初はイカツイおじさんとしか思っていなかったが、接していく内にいい人と知った。

どんなに朝早くても必ず呼ばれた15分前にはバイクで来て家にあった花に水をあげてた。特に指示を出したわけでもなく、自主的にいつの間にかやるようになっていた。
無理なお願いをしても必ず嫌な顔一つせず笑顔で来てくれた。

自分の機嫌がいい時は一杯しゃべって、自分が学校終わって疲れてそうにしているとお疲れ様とだけ言ってあとは無言で車を走らせた。

優しい面と同時にかっこいい一面もあった。

マレーシアは警察の汚職がさかんな地域だったので、日本車の車を走らせるとよく止められてお金を求められた。抵抗をすれば逮捕されるため両親はすぐにお金を出そうとしたが、その人は頑なに一銭も渡さなかった。

マレー語で警察官と10分ほど口論するといつも勝ち誇った顔をして何事もなかったかのように運転を再開した。

生まれ育った故郷で当たり前だったはずの警察の不正を一切許すことなく、私たちのためにいつも立ち向かってくれた。


1年ほど毎日顔を合わせて仲良くなった頃、娘さんが結婚式をあげるということで招待された。それが私の人生で初めての結婚式だった。はじめて現地の人と深くかかわって、あまり英語を喋らないので少しコミュニケーションに戸惑ったものの、とても楽しかった記憶が今もある。



そんな幸せ絶頂の中、ヒーロー兼仏様のような運転手はある金曜日、
勤務中に初めて体調が良くないと言った。
その人は最初断ったが、無理矢理家に帰るよう親が説得した。

約6時間後のその晩、帰らぬ人となった。
死因は急性心不全だった。
娘さんの結婚式から3か月も満たないころだった。

私は人生で初めて、いきなり運転手だけでなく、大切な何かを失った。

当時は死の感覚がつかめず、ただ忽然と目の前から姿を消したという感覚に近かったが、この時に心に刻まれた傷は深く、金曜日や車という言葉を聞くとふと思い出して泣いてしまう。

そんな時は無性に会いたくなる。

その人の笑顔が、声が聞こえる気がする。

でももう会えない。

この出来事から死が怖くなった。

もっと話しておけばよかったっていう後悔から友達と遊んだ帰り道なんかはもうその人とは会うのは最後かもしれないと思い、悲しい気持ちになる。

リストカットをする友達をみかけると絶対に自殺させないという思いで必要以上に深入りしてしまう。常に死を念頭に行動をしてしまう人間になった。


一方で、その人からは学んだ事も多い。

娘さんのお葬式では、普段あまり交わらない現地の人たちが沢山いてその人たちの話を聞くと自分がいかに恵まれた環境で育ったかを知れた。

またその人は熱心なイスラム教徒だったため、断食や礼拝について教えてもらったことで海外のマスメディアで報道されるようなイスラム教に対する不信感を抱くことなく人と接することができた。

もちろん本人の意志ではないが、死についても教えてくれた。


そこから1年は
・もっと話しておけばよかった
・もっとマレー語教えてって言えばよかった
・もっと日本語を教えればよかった
・体調不良って言われると家じゃなくて病院に行ってと私が言えばよかった
・毎日お花に水を上げてくれてありがとうって言えばよかった

ずっとあれから後悔とごめんねという気持ちが芽生えていたが、その人の顔を思い浮かべると泣かないでと言ってきそうで、ますます申し訳なくなる。

でもどんなにつらいことがあろうと、過去を反省しようと、当然のことだが過去は変えられない。

だから前を向くしかない。

そんな当たり前だけど重要な人生哲学を学んだ、私の人生の恩師に捧ぐ。

#創作大賞2023 #エッセイ部門


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