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自分の意見を自分で否定して。自分の心を自分で否定して。

ぼくは文章を書くのが好きだ。
ある日、思いついたことがあり、その気分のまま勢いにのって、ひとつの文章を書き上げた。
そうして、できあがった文章は誤字脱字もあり、表現も拙い部分ある荒削りの文章であった。
しかし、ぼくは満足感を感じた。自分の意見をまっすぐにその文章に載せて書いたことを誇らしく思った。

少し時間を置いてその文章を自分で読み返してみる。
ここはこう書いた方がいいな、ここはこの表現の方がいいな。
そうやって少しずつ修正をしていく。

しかし、そのうちこのような考えが頭に浮かぶ。
「あれ、こんなこと書いたら怒る人がいるんじゃないかな」
「それは間違っていると批判されたらどうしよう」

そうやって気になり出した箇所を、当たり障りのない表現に変えていく。

そうして最終的にできあがった文章は、結局何が言いたいのかわからない、はじめに書き上げた時とは全く違う内容のものだった。

ぼくは悲しくなって、その文章を丸ごと消してしまった。
そうして、ぼくは文章を書くことすらやめてしまう。

自分で自分を誇りに思ったことを、自分でぶち壊す。
そんなことは簡単にできる。
とりあえず、自分で先に自分を壊しておけば、誰かに壊される心配はない。

でも、ぼくは知っている。
ぼくの心は泣いている。

自分の意見をいうのは怖い。
それが大勢と違う意見だった場合は特に。

それを曲げてしまうことは簡単だ。
でもそれを自分の心は覚えている。

自分が素直に思ったこと、感じたことが間違いであるはずがない。
その時点ではそれは絶対に正しい。

もしそれを自分の外に出して、そうして違う意見を聞いて、それで自分が間違っていたのなら、その時はじめて自分が間違っていた、と素直に認めればいいのだ。

そうして一度自分をきちんと受け入れて、そうして自分で認めた間違いならば、自分の心は傷つかない。

批判されるのは悲しい、それは違うと指摘されるのは恥ずかしい。
できればそんなことは避けたい。

でも決して悪いことではない。
悲しくて、恥ずかしくて、そうして落ち込んでしまうことは悪いことではない。
それを隠そうとするからおかしなことになる。

ダメな自分は悪いことではない。
間違えてしまう自分は悪いことではない。

そうやって自分を認めてあげると、見えてくるものがある。
そして、それを自分の心はきちんと覚えている。

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