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能動的ひきこもり

 久しぶりに街の中心部のほうに出かけると、いつも思うことがある。
 それは、“人、多っ!”ってことだ。
 ぼくは基本的に家にいて、仕事以外だと出かけるにしても公園とか川沿いとか、人のいない方いない方に行くか、あるいは近所の焼き鳥屋さん、友達と飲むときでさえ繁華街を少し外れた飲み屋に行くくらい。
 そんな感じで生活しているので、百貨店とかキラキラしたショップが多く並ぶ街中にはあまり行くことはないのだけど、たまに出向くと人の多さに圧倒されてしまう。
 


 今日はちょっと用事があって街中に出たのだけど、人が多いこと多いこと。どこもかしこも人だらけ。「ああ、人ってたくさんいるんだなぁ」と上京したての青年よろしく、しばし口を開けて棒立ちになっていた。


 とはいえ、やはり街中は新鮮で活気があって楽しい。なんだかお祭りみたいでワクワクする。ガラスのショーウィンドウからのぞく色鮮やかな洋服、ただよってくる美味しそうなカレーの香り、客引きする人の声、百貨店から聞こえるBGM、建物に描かれた巨大なアート作品。どこをみても色鮮やかで、どこにいても色んな音がする。

 ぼくは基本的に静かな方を好むけど、割とガチャガチャしたところも好きだったりする。
 ヴィレヴァンとかドンキみたいにゴテゴテと雑多な感じもワクワクするし、色鮮やか、いやなんなら毒々しい色のグミとかを売ってるお菓子を量り売りするお店とかもテンションがあがるし、おもちゃ屋さんとかは試しに遊べるようなおもちゃがあれば、子どもたちに混ざって遊んでみたくなる。流石に大人なのでしないけど。あ、でも誰もいなかったらするかも、大人だけど。
 と、まぁ割と派手で騒がしいもの好きなところもあるぼくは、久しぶりの非日常にテンションがあがり、用事を済ませた後で、街中をゆるゆると歩いてみることにした。



 ぼくは左右に並ぶお店をながめながら歩いていく。
「お、かっこいい自転車だなー、どれどれ。げっ、自転車ってこんなに高いの!?」「キックボクシングの教室ね。うん、筋トレさえ3日も続かないぼくには到底無理だろうね」
 4人の高校生が戯れ合いながら自転車でぼくを追い越して行った。制汗剤の匂いがした。

 歩いていると少し古い商店街にでた。
「ん? なんか行列ができてるけど、なんだろ?」「お惣菜売ってる。結局こういうところのが一番おいしいんだよなぁ」
 店先に出ているワゴンを物色している女性が赤ちゃんを抱っこしていた。赤ちゃんは「興味ないわー」と言わんばかりに大きなあくびをした。
 
 ちなみにぼくが左右のお店を見ながら歩いてるのは、もちろん興味があるのもそうだけど、向かいから歩いてくる人がいる場合、どこを見ていればいいか分からなくなるからだ。向かいの人をじっと見るのはもちろん違うし、だからといって、見ない見ないって強く意識するのも不自然だし、でもそうすると、え? っていうか普通歩くときってどこ見て歩くんだっけ? みたいな感じで、全然寝れないときに、あれ? どうやって寝るんだっけ? みたいな状況になって、つまり何が言いたいかっていうと、ぼくは歩くときは基本的に横か地面を見て歩いているってことなんだ。(別に言わなくてもいい)

 そんなことを考えながら歩いてるものだからちょっと疲れてきて、表通りを外れて路地裏にはいることにした。
 人が少なく、音も減って安心する。すると奥のほうに落ち着いた雰囲気のカフェがあった。
「へぇー、なんか静かそうでいいなぁ」
 そんなことを思っていると、ちょうど中から男性が出てきた。そして思わず目が合ってしまう。目が合ってしまったので、ぼくは光の速さで目を逸らす。「別にあなたのことを見てたわけではないんです。たまたまカフェの入り口を見てたから、それで。本当です。本当なんです」ぼくは心の声で言い訳をする。聞こえるわけないのに。言い訳する必要もまるでないのに。そして、その男性は表通りの方向にすたすたと歩いて行く。まるでぼくのことなんて気にすることもなく。当たり前だけど。

 しばらく静かな通りを歩いていると、道の脇にガチャガチャがいくつか並んでいた。お金をいれてカプセルに入ったおもちゃが出てくる、いわゆるあれだ。そのガチャガチャは言葉を選ばすにいうと、機械自体がかなり古く、ボロかった。でも、中身は入っているようだ。ぼくはそのガチャガチャをみて思った。
「これってまだ売ってんのかな? 残ってるけど。なくなったら補充とかされるんかな? ってことはこの商品を作る人がいて補充する人がいて買う人がいて。すごいなこの路地裏にこのガチャガチャで繋がる人がたくさんいるんだな。っていうかガチャガチャってすごいたくさん種類あるよな。一時期ブームにもなってたし。つまり日々新しい商品が生まれてるってことだ。ということは廃番になったやつとかもあるんかな? それが逆にレアになったりして。千年後の博物館にはガチャガチャが飾られていたりするんだろうか。This is gachagacha! Oh! Gachagacha! Wonderful! ってか。なんで英語やねん。アホか」
 
 なんということだ。活気のある街中であっても、静かな路地裏であっても、いつもうるさいのはぼくの頭の中だった。それだけのことだ。
 

 

 そしてぼくは帰ってきた。家に帰り、ひとりになる。すると思うことがある。
 それは“ひとり、最高!”ってことだ。
 視線をどこに向けたらいいか、なんて考えることもなく、ゴロゴロしても歌っても踊ってもいい。
 椅子に座って一息ついて、天井を見上げながら「あーーー」と声にもならないような声を出していると、ぼくの中の何かが回復していくのがわかる。



 思えば少し前までは「ひとりになりたい!」と頻繁に思っていた気がする。
 会社で隣の席の上司がため息をついたとき。付き合いで参加した飲み会で愛想笑いをしているとき。苦手な人に会う予定があるときなんかは、まだ家でひとりでいるのに「ひとりになりたい!」と思っていた気がする。

「ひとりになりたい!」とは、つまり、物理的にひとりになりたいのはもちろんだけど、本質的には「まって、しんどい! ちょっと放っておいて。頭パンクしそう。考えること多すぎて不安がとまらない! 気遣うの疲れた! だからリラックスして頭を整理して安心したい!」っていうことなのではないかと思う。
 
 人と会っていたり、騒がしくて人の多い場所にいたりすると情報量が多いのだ。そうすると考えることが多すぎて、そしてもう癖のようなものだけど、その考えは悪い方に悪い方に向かうことが多々ある。

 
 だからといって、ぼくは人が嫌いなわけではない。
 今日だって帰ってきて思い返すのは
「あの高校生たちは青春の真っ只中にいるんだなぁ。そして彼らがそれを知るのは数年後なんだ。ふふふ」とか
「あの赤ちゃん、ふくふくしてて可愛かったなぁ。それにしても豪快なあくびだったね。将来は大物だね」とか
「あの男性は営業の途中だったのかな、スーツだったけど。あの人にとってあのカフェは外回り中の休憩場所なのかな。都会という砂漠で戦う男は喉の渇きを癒すためオアシスにやってきた。そう、その名もCafe ROJIURA」とか。
 
 だからってこともないけど、たぶんぼくはむしろ人のことを好きなんだと思う。友達と飲みに行くのも好きだし、仲のいい人たちでワイワイするのも好きだ。ただちょっと疲れやすいだけ。そうそう、それだけ。それだけのこと。



 ピコン。
 友達から「今日、飲みに行かない?」という連絡が入る。
 ぼくは「ごめん、今日は無理だ!」と返信する。
 
 ぼくはこの友達のことが好きだ。飲みに行けばふたりでくだらないことをいつまでも話している。でも今日はダメだ。予定があるから。ひとりでゆっくりするっていう予定が。
 自分ひとりでゆっくりしたいっていう予定を何よりも優先してはならない理由なんてひとつもない。
 生きてりゃ色々あるんだ。誰かに会いたいときも、会いたくないときもあるさ。
 要はバランス。バランスだ。
 外に出たいときは外に出て、引きこもりたいときは引きこもる。それだけのことだ。

 友達からは「おっけい!」という文字とスタンプが返ってきた。
 うんうん。こんなのでいいんだ。

 疲れて考えすぎて気を遣って不安でいっぱいで「ひとりになりたい!」って心が叫んでるぼくに返信する。
「おっけい!」という力強い言葉と、それからお気に入りのどデカいスタンプを。

 

 

 
 

 

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