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Vol.13 内面的なやることリスト

今を認める

自分の内面を明文化するのは、たいへん勇気が必要なことです。
そこで大事なことは「今を認める」事です。
今の現実を理解して、今の自分を認め、愛してあげることです。
過去を思い出して懐かしんだりするのは良いですが、その思い出に縋らないようにしましょう。
過去の栄光は過去の自分のものであり、今の自分の礎になってはいますが、現在の自分の栄光ではないのです。
だからこそ、自分の今を認めてあげることが、終活における自分の棚卸しになるのです。

若いころと違うと言えば、その代表格が容姿ですが、変化は誇るべき自分の歴史だと考えましょう。
顔に刻まれた皴の一本一本が歴史そのものなのです。
良いじゃないですか、そのままでも。
時の流れに任せて、今できることだけをやると決めれば気が楽になります。
これも今の自分を認めること、肯定することだと言えます。
負け惜しみと言われるかもしれませんが、今を真正面から認めることこそが勇気だと思います。         

人生の棚卸しをする

「人に歴史あり」とは昔から聞く言葉ですが、自分自身の歴史には当然ながら、その前の歴史、その前の前の歴史があります。
皆さんはご両親と人生について話した事がありますか。
残念ながら私は自分の両親と深い話やの二人の歴史を詳しく知る機会は多くありませんでした。
ただ、その当時の自分のライフイベントと重ねた形で話を聞くことはできました。
例えば高校受験の時に、親がどんな学校に行ってどんな学生生活をしていたかを聞いたり、部活で頑張っているときに親の学生時代のエピソードを聞いた記憶があります。
しかしながらそれ以上の話を深く話す機会をあまり持てなかったので、実際のところの両親の人となりを客観的には知らなかったと言えます。
特に結婚観や子育ての話は、すでに他界していたので聞くことができませんでした。その点では親不孝な息子だと自分でも思います。

さて、今このように終活を始めてみて、なるほど自分とはこんな人間だったなと改めて感じることも多く、自分のその時の思いを残す気持ちにもなってきています。
いわゆる自分史を残すわけですね。
実際のところは思い出したくもない黒歴史かもしれません。
が、それでも自分の気持ちを整理するため、スッキリと晴れ晴れとした気持ちで去るためには必要な事なのではないかと思っています。
難しければ文章にしないでメッセージの動画を残しても良いでしょう。
特別なことではなく、家族と話している様子が動画で残っているだけでも良いでしょう。

自分の死について考える

自分史とは別に、自分の死生観を書き記すことは大事な事だと思っています。
その人の死生観は人生への考え方であり、心の持ちよう、生きざまでもあります。
そして家族との人間としての価値観を共有するためのものだと考えてます。
だからもし両親とそんな話ができていたら、私自身も多くのことが変わっていたでしょう。
もしも両親が終活を通して、いろいろな記録を残してくれていたならば多くの学びがあったと思います。
そこに自分の事が書かれていたとしたら、いかに自分が両親をイライラさせていたのかとか、こんなところで許されていたんだなとか、見返すたびに赤面することが必至だと思いますが、読んでみたかったなと思っています。
そして今、自分の家族を思った時に、先達として後輩へのアドバイスのつもりで何かの形で残すのも良いと思っています。反面教師とも言えなくもないので、子供たちの人生の教科書として受け止められたら本望です。

大きな意味で自分自身の棚卸しをするのは意義のあることです。
良い機会だと思って取り組んでみましょう。
ちなみに私は自分の良いところと悪いところを1日1つづつ箇条書きにすることをノルマにして取り組んでいます。既に絞りだしても出てこなくなっていますが、頭の体操だと思ってやっています。


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