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周山街道をゆく chapter1-2 高雄神護寺(2)

chapter1-1 高雄神護寺(1)→
神護寺の楼門をくぐった。快晴の下、GWの後だからか誰も居ない。小鳥のさえずりが耳に入った。幾度と訪れている大伽藍だ。早速Instagramで超有名な金堂の階段に向かった。するとひとりのカメラマンがいた。場所を変えながら望遠レンズを青もみじと伽藍に向けての連写音が耳に入ってきた。

映えスポット 階下から金堂を観る

今回はこの映えスポットのためにここへ来た。僕はcompact camera派だ。backpackに入れ、仕事帰りでもパッと撮影することが多い。性能が著しく向上したスマホカメラでも用は足せるが、決済やスマホいじりのためにbattery を温存しておく必要がある。気に入ったものを見つけてはバシバシ撮っている。

金堂

金堂の中に入った。お坊さんが熟年カップルに仏像について説明をしていた。いろいろ質問をしていたが、大きな堂内に声が響くので聴き取ることができ勉強になった。弘法大師は弟子と共に約14年もこの神護寺に住持していたという。一箇所にこれほど長く居たのは他にないだろう。この寺で特筆すべきことは平安時代初期の双璧、伝教大師最澄との密教での親交が長く続いたことだ。よく最澄が空海の弟子になったという記述を目にするが、たとえ格下、年下からでも自分の足らぬものを積極的に学ぼうとする姿勢は見習うべきことだと思う。天台宗、真言宗と袂を分けれるが、仏教だけでなく、その後の日本文化に多大な影響をもたらしたことは間違いない。

映えスポット 金堂から階下を観る

参道には手摺があったが、景観を考慮してか金堂前の長い階段には手摺がない。参拝者の高齢化を考えればあってしかるべき長さだ。特に急な階段は体を斜めにして下りないと怖さを感じるほどだ。

伽藍から楼門を観る

楼門の近くにトイレがある。用を済ませ、ふと見るとトイレの横に鉄扉があり、その前に車が一台停めてあった。あとでわかるのだが、それは門には鍵が掛けられ関係者だけが通ることができる防災道路であった。楼門から上下薄黄色の作務衣を着た男性が出て来た。さきほどの車の持ち主はこの男性ではないかと直感した。作務衣は普段着としてNETでも売られ、仏教徒以外でも着る人が増えている。また昨今のお坊さんはshinhead(坊主頭)にしている人は少なく、ユニクロの服を着て街中を歩いていたら俗世人と見分けがつかない。何者かと思っていたらその男性は楼門から金堂の方角に向かって手を合わせお祈りを仕始めた。1分ほど経っただろうか。一礼し鉄扉を開けに向かった。

書院(楼門横)

楼門をくぐると長身の大学生風の黒人系外国人が階下をじっと見つめていた。階下よりgirlfriendらしき人が息を切らしてしんどそうに上がって来るのが見えた。ほとんどの観光客はこの長い階段が続くことを知らずに来ているようだ。僕は階段を下り始めた。すると少し離れたところからけたたましいエンジン音が聞こえた。Riders(バイク愛好者)がよく連なって周山街道を走る。しかしその音はここまで聞こえない。以前エンジン式送風機を担いで階段に積もった落ち葉を吹き飛ばしているのを見たことがある。その大変な作業を想像した。参拝者のために毎日行っているのだろう。茶店当たりを過ぎ、さらに階段を下りた。

すると階段を上がって来る熟年カップルと出会した。
「こんにちは」とあいさつをした。
「こんにちは」と返してくれた。
「この階段はどこまで続くのですか」と聞いてきたので
「あと少しです。頑張ってください」と笑顔で言った。
彼らは勇気づけられたのかニコッと笑った。
少なくともあと3分の2は残っていた・・・。

高雄橋 神護寺参道入口から清滝川を観る 

長い坂を下り切り、再び高雄橋の青もみじを愛でた。爽やかな風に誘われるように清滝川に沿って槇尾山西明寺に向かった。
chapter 1-3 西明寺・高山寺→



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