またって

「なんかさ、自分だけはいつまでも歳を取らないんじゃないかって思ってたことなかった?」
 彼は唐揚げに伸ばしかけていた箸を引っ込めて、取り皿の上に置いた。
 昔の私なら、行儀が悪いなと思って、何か小言の一つでも言ってやっていたのだけれど、すっかりそんなことは思わず、ただ彼の箸の軌道を眺めているだけだった。
「たとえばさ、そうだな、今俺は唐揚げを食べようと思って箸を伸ばしかけたんだけど、やっぱり食べれないなって思って引っ込めたのよ。学生時代なら全然食べれたはずなのに、さ」
 そう言うと、ワイシャツが少し苦しそうなお腹に、ぽんと軽く叩くように手を置いた。
 私は最後の一つ、彼が伸ばしかけてやめた唐揚げを口に運んだ。

 彼とは店を出て、駅までの道を歩き、改札を潜って、別れた。別々のホームへと続く階段を、それぞれ上った。
 ホームにたどり着くと同時に、彼のいる方のホームに電車が滑り込んできた。電車に乗り込んだ彼は、窓越しに私に小さく手を振った。私も小さく手をあげて、それに応じた。
 人がまばらなホームに立って、電車を待っていると録音された音声を遮って、駅員の声でアナウンスが流れた。
 二つ隣の駅の人身事故で、運転見合わせとのこと。
 私は、空いていたベンチに腰を下ろした。誰が座ったかわからず汚いと、座りたくなかったベンチに、いつの間に座れる私になっていたのだろう。
 スマートフォンで地図アプリを起動する。徒歩での時間、タクシーでの料金、迂回経路、それぞれの情報に目を通す。
 それからふと顔を上げると、向かいのホームには先程電車に乗ったはずの彼が、昔の、出会った頃の姿で立っていた。ワイシャツがTシャツに、スラックスがチノパンに、少し出っ張っていたお腹もしゅっとへこんでいた。
 彼は笑顔で私に何か伝えようとしているのだけれど、彼の言葉は私の耳に届かない。大きく口を開け、大きく手を振る彼の元に、音もなく電車がやってきた。
 その瞬間、彼の言葉が、たしかに聞こえた。
「また明日」
 私も反射的に「また明日」と叫んでいた。
 彼は満面の笑みを浮かべ、そのまま電車に吸い込まれていった。
「また明日って、いつだよ」
 私は小さく一人つぶやいた。
 あの頃は、明日がやって来れば、当たり前のように顔を合わせていたのに、それがいつしか、また来週になり、また来月、また来年と、「また」が距離を持つようになってしまっていた。今の私たちにとって、次の「また」はいつやってくるのだろうか。
 一つ息を吐き出して、少しの間、瞼を閉じた。
 それから瞼を開くと、さっきまで僅かながらにいた人たちがいなくなって、ホームにいるのは私だけになっていた。駅員がゆっくりと私の方に向かってきている。私がベンチを立つと、駅員は何事もなかったかのようにくるりと引き返していった。

 駅を後にし、徒歩での帰路についた。一番時間がかかるけれど、一番お金がかからないルートだった。歩道の白い線の上を歩きながら、メッセージアプリで、彼とのトーク画面を開いた。彼とのやりとりは、今日待ち合わせ場所についたことを知らせるもので終わっていた。
 彼にメッセージを送った。
「またーー」

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