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ひとをキズつけない言葉が、やさしい言葉とはかぎらない。

あの時、わたしを救った言葉

「あなたのこと、誰も見ていないから大丈夫」

大学一年生のときに当時付き合っていた方から言われた言葉です。
こうやって書いてみると、なんかひどいこと言われてるみたいですが、当時のわたしはこの言葉で救われた気がしたのでした。

大学一年生といえば、どんどんと膨れ上がる自意識をただただ持て余すような時期でした。大学では気安く話す相手もおらず、学科の必修科目の時などはひとりでいることがとても恥ずかしくて講義が終わったら逃げるように帰っていました。

周りに馴染めないことがいたたまれなくて、自分がどう見られているかが気になって仕方がない。そんな毎日でした。

冒頭の言葉を言われたのがどんな文脈だったか、今でははっきりと覚えていませんが、おそらく周囲に馴染めない悩みをああだこうだ訴えていたのだと思います。もしくは、どこかに出かけるときに見た目を気にしすぎるわたしに対しての言葉だったかもしれません。

いずれにしても、相手からしたら元気付けようとして言ったわけでは決してなく、ともすると苛立ち混じりの発言だったとさえ考えられます。

それでもわたしは、この言葉に思わず笑ってしまったこと、そのあとには胸がすく思いがしたことを、なぜだか鮮明に覚えています。

ともおに学ぶ

わたしの大好きな漫画『団地ともお』にこんなエピソードがあります(24巻収録 第18話「何げに大ピンチからのともお」)。ちなみに、ともおは団地住まいのバカでかわいい小学4年生。

ある日の道徳の授業で、先生が「なんでもストレートに言うことが正しいわけじゃない」という話をします。その言葉が相手をキズつけないかどうかじっくり考えてみよう、と。
いつもならともおが失敗すると(ともおはドジなのでよく失敗します)、友人たちは遠慮なく文句を言ったり、ともおのことを笑ったりします。しかし、先生の教えを守ろうと、そういう場面でもぐっとこらえて何も言いません(みんな素直)。すると、だんだんともおの身体が透明に。

透明になったともおがひとり家に帰っていると、反対のほうから同じく透明になったケリ子(ともおと犬猿の仲のクラスメイト)が歩いてきます。
ケリ子は「おしゃれに目覚めた」と言って急にフリフリの服を着て学校にきたのですが傍目からはまったく似合っていません。しかし、周囲の友人たちはケリ子をキズつけるのを恐れてそのことを指摘しません。

先生の教えはおかまいなしに、ケリ子を見て爆笑するともお。
ケリ子は「ふん!」と言って去っていきますが、頭のなかで「なんか救われた気がする」と考えています。身体も透明でなくなっていました。

とまあ、こんなお話なのですが、まったく面白さが伝わってないと思うので、気になる人はぜひ読んでみてください。
ともおはお母さんに0点の答案が見つかり、こっぴどく叱られることで透明でなくなります。

「相手をキズつけないこと」を最優先にすることは、もしかしたら相手を対等に扱わないということにつながるんじゃないかと思います。
と同時に、ふつうに考えたら「ちょっとどうなの?」という言葉でも、その人が素直に発したものであれば案外腹は立たななくて、時と場合によってはそれで救われることもあるんじゃないでしょうか(ただし、この「時と場合」というのがとても複雑なのが厄介なところです。蛇足ですが、わたしはおおむね先生の教えていることに賛成です)。

わたしにとって冒頭の言葉はそういうもので、今でも自意識がスパークしたときには、思い出して自分に言い聞かせることがあります。

誰も見ていないから大丈夫。

スリザリンでも・・・

最後に、最近言われて印象に残っている言葉についてふれようと思います。

先日、友人たちと話していてハリーポッターの寮の話題になりました。
主人公やその友人たちが所属するグリフィンドールにはいい奴しかいない、という話になったので、天邪鬼のわたしは「そんなところには入りたくない。だったらぼくはスリザリンに入る」と言いました。

この発言に対する友人Sさんの返答が、
「カタヤマさんはきっとスリザリンでも周囲に馴染めなくて、はしっこのほうにいますよ」。

思わず笑ってしまいました。


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