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「ぐっとくる」禁止。

いい本やいい音楽などについて語るときに、しばしば「ぐっとくる」という言葉を使ってしまいます。

「よかった」、「感動した」、「心に残った」など様々に言い換えられるのでしょうが、「ぐっとくる」という言葉がいちばんちょうどいいというか、自分の心情を表してくるような気がします。
「ぐっ」という促音の部分がいい働きをしていて、何かに心を掴まれたときの、思わず力が入ってしまう感じを表してくれています。

思い出すのは、山王戦での安西先生のガッツポーズ(わかりますか?)。

あとは、好きな作家の長嶋有さんがよく使っているのでその影響というのもあります(長嶋さんには、ブルボン小林名義で『ぐっとくる題名』という、いろんなジャンルの作品の題名だけを評する著書があります)。

しかしながら、「ぐっとくる」に頼りすぎているのではないかという思いが、近頃むくむくとわきあがってきました。
なんでもかんでも「ぐっとくる」でいいのか、自分。
実はあんまりぐっときてなくても惰性で「ぐっとくる」と言っていないか、自分。

というわけで、「ぐっとくる」を使うのを当面の間、禁止してみようと思います。

話は変わりますが、こちらも好きな作家である滝口悠生さんのアイオワ滞在記『やがて忘れる過程の途中に(アイオワ日記)』に
I am touched
という言葉が出てきます。

世界中から書き手が集まるプログラムに参加した滝口さんがスピーチを行った際に、同じプログラムの参加者であるインドの詩人チャンドラモハンから言われた言葉です。英語のtouchには「感動させる」という意味があり、直訳すると「私は感動させられている」となります。とても感動しているさまを表現するフレーズで、似たような表現に「I am moved」というものがあり、場面によって使い分けられるようですが、個人的には断然、前者の方がいいと思ってしまいます。

めちゃくちゃ単純化して日本語に当てはめれば、
moved→心が揺さぶられた
touched→心を掴まれた
になるかと思います。
ふれる(つかむ)という表現をすることで、心という実体のないものが、そこにたしかにあるように感じられるのが面白い。考えてみると、何かにいたく感動したときに、今までふわふわとしていた自分の輪郭がくっきりと浮かび上がってくるような経験が、これまでに何度かあるように思います。

よくわかったような、わからんようなことを書いてきましたが、この本はとてもいい本なので多くのひとに読んでもらいたいです。
言葉のこと、文学のこと、他者とともにあること、これらのどれかに少しでも興味があるなら、ぜひ手に取ってみてください。

なんというか、

とてもグッとくる本です。


【今回の記事で紹介した本】

増補の文庫版が、新書版と同じデザインなのがニクい!

配偶者の佐藤亜沙美さんが装丁を手がけているのもぐっとくるポイント。

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