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『長い一日』を読む長い一月 〜7日目〜

滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。

前回は「窓目くんも泣いていた」という文章で終わりました。第7回のタイトルは「窓目くんの涙」です。窓目くんの涙と、夫と窓目くんとの来し方などが語られます。

あらすじ
駅に向かう窓目くんを見送るため、夫も一緒に歩いている。酔っているときの窓目くんは怒っているように見えるが、その理由は誰にも、窓目くん本人にもわからない。
夫が持ってきていたどら焼きを差し出すと、窓目くんは乱暴にそれを口に詰め込む。どら焼きを食べ終えて、窓目くんは泣く。夫は驚かないが、なぜ泣いているのかはわからない。
夫はなんとなく笑っていて、それはただいつもと同じ顔をしているというだけであり、窓目くんに何か声をかけるわけでもなく、植え込みの葉を眺めたり、窓目くんのバッグのことを考えたりしている。窓目くんは、泣いたことをみんなに言わないでほしいと夫に頼む。
帰り道、夫婦は小説家の柴崎さんに出会う。夫は「ホームパーティーがあった」と普段使わない言葉を使う。

ホームパーティー
この章の最後では、窓目くんから「田無にいる」というメールが来たことと、柴崎さんの連載小説がその日で最終回だったというふたつの出来事が描かれます。このふたつには何も関係がありません。ここからは小説に描かれていないことなのですが、柴崎さんのこの連載小説を思い出す時に、あるいは柴崎さんの小説を読むたびに、夫はあの日の窓目くんの涙を思い出すかもしれない。逆のこともありえて、あの夜の出来事を思い出す時に、柴崎さんの小説があわせて思い出されるということが起こるのではないかと思います。もしくは、「田無」から柴崎さんの小説が思い出される、といったように、その事柄に付随していたことがどんどんこぼれていって、本来はまったく関係のない要素だけが結びついて思い出されるといったことが、わたしたちの記憶にはありうるということを考えました。
窓目くんが怒ったり泣いたりすることと、それは多分関係があって、「怒り」や「涙」は何か特定の感情と直結しているわけではなくて、そこにはもっと複雑なものがあるような気がしています。

夫は、たいてい何かを考えていると、そういう記憶の強さと弱さみたいなところに行き着き、小説にもたいていそういうことを書いた。(P.75-P76)

ここで「記憶の強さと弱さ」と書かれているものが、わたしたちの感情を揺さぶるものと関係しているのかもしれませんが、これについては、もう少し考えを深めていく必要がありそうです。

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